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お好み焼きを焼き続けて半世紀を越え、まだまだ頑張りますよ!

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お好焼・おでん小林/KobayashiOkonomi


お好焼・おでん小林/KobayashiOkonomi
尾道市役所の北側、米場町(こめばちょう)という通りに正午ごろから、夜の10時30分ごろまで小さな入口に暖簾が懸かる。このお店、定休日というものはない。したがって、吾輩はほとんど毎日、この店の前を通りながら、鼻をピクピクさせるのが楽しみで....。
店内は昭和30年代に流行ったデコラ張りのままだ。シンプルなお好み焼が16mmの特注鉄板でパリッと焼上がる。これが実においしい。大正12年尾道生まれの小林のお母さん、彼女の昔ながらの「小林お好み」の焼き方は、今年(2008年)で51年目を迎える今も変わらない。吾輩は尾道風お好み焼きの歴史の生き証人だと思うのだが、それでも彼女はいたって謙虚で「私らぁ、しろーとじゃけぇ。」が口癖だ。
小林のお母さんは、お好み焼きに欠かせないキャベツをお客が来てから、包丁を入れる。「その方が新鮮でおいしいと思うけぇ。」と彼女は云う。したがって、沢山のお客さんが来たら当然、それなりの時間がかかる。「一度に3枚しか焼けんけぇ、大勢来られたら、うちゃあ(=私は)よう焼かんよね。」
昭和18年、尾道から遠く満州・新京の地で、四軒のホテルを経営するオ−ナ−(尾道の人)に嫁ぎ、敗戦とともに命からがら満州脱出、ふるさと尾道へたどり着いたのが昭和21年という。『ツァオ・ファン・ワンラマ』が満州人のあいさつと教える小林さん。直訳すれば「朝ごはん食べましたか?」という意味だが、日本でいう「お早うございます。」というニュアンスの挨拶らしい。そんな彼女が『尾道ぐらいえぇところはないよねぇ。』という。実感がこもっているなぁ。

機会があれば、吾輩は小林お好みで夕食を終えることも多くなっていた。そんなことで小林のお母さんから、よく昔の話を聞かせてもらった。
ある日こんな話も聞かせてもらった。感慨深そうに「8才の息子を前に座らせ、お母さんはこれから酒屋さんをしようか、それともお好み焼き屋さんをしようかね?」と尋ねたら「酒屋さんはいやだ!というので、お好み焼きを始めたんよね。」と。
大正12年生まれの小林さん(85才)が今日もお好み焼きを焼く。米場町で、この小林さんが店を始めて今年でちょうど半世紀を越えた。そんな彼女が、最近「力が出なくなってねぇ。向いの産婦人科の先生にどうしたんじゃろう?と尋ねたら、80才を越えて力をどこで使うんねぇ。力が出んのが当たり前じゃが、といって笑われたがねぇ。」
彼女は、お好みが焼き上がる前に、年季の入ったコテ2本をお好みと鉄板の間に手際よく左右から差し込み、少し浮かしたと思っらクルッと回転させた。焼き加減を調節しているのだろう。いよいよ焼き上がったのを見て取ると、ソースと青のり、かつお粉などお好み焼きの最終仕上げをお好み全体の半分だけしかしない。これは彼女の気配りで、仕上げた半分をお客に出して、お客が食べ終える頃合いを見て残りの半分を仕上げていくのだ。こんな気配りをするのは、ほかの店でみることはない。
吾輩は小林さんにお願いして、記念の動画を撮らせてもらった。レトロな店内にあるダイヤル式の黒電話もまだまだ現役、「プッシュなんたらは、使うのが難しいわね。その点、このダイヤルは使いやすいけえねぇ。
ところで、お好み焼き屋さんは尾道町にはいっぱいあるが、一般的に苗字を屋号にしたお好み焼き屋さんは老舗が多い。多分、お好み焼き屋は町内会に一つはあって、別段「店名」をつける必要がなかった、というのが吾輩の推測だが....。(2008年)



ここ当分、「小林お好み」の暖簾が掛かっていなかったので、気になっていた。昨年あたりから小林さんは体調を崩されて、お好みを焼くのが大変そうだった。近所の人に尋ねてみたら、どうやら廃業されたらしい。今年に入ってのことだろう。またひとつ尾道の楽しみが消えて行った。(2009年7月17日)
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