ワット・プラ・ラム寺院に聳えるチェディ。その四方を固めるようにガルーダ(鳳凰)たちが両翼を広げ、いにしえを偲ぶかのようにくう空を見つめる。
祖国を遠く離れ、アユタヤの王に仕えこの地に生きた山田長政とはどんな人物であったのか。
あれから400年という永い歳月が流れているのだ。静寂の廃虚には夕闇が迫り、その深い眠りが吾輩たちを王国の栄華にいざな誘う。
かつてアユタヤ王国を建国(1350年)したウートン王の王宮があったというワット・プラ・シー・サンペット寺院。石仏頭が大樹の根に呑み込まれ、異様な光景を見せるワット・プラ・マハタート寺院。カメラのファインダーから見える、どのシーンも絵になるようだ。写真家気取りで思いを巡らせ、シャッターチャンスを伺っていた吾輩は、突然、静寂の中でけたたましく飛び立つ一羽の鳩によって、現実世界に引き戻された。
吾輩たちは、その朝バンコクのホテルを8時にチェックアウトし、片側3車線の高速道路をバスで約80q、北方面へ移動した。途中、邦人企業の現地工場2社の訪問を終え、このアユタヤに午後1時に到着したのだった。
昔この国をシャムと呼んでいたと聞くが、実にそのわけ理由は、このアユタヤにあった。
シャムとは『黄金の街』を意味するという。ウートン王の死後、遺骨を納めるためのチェディ(仏塔)が王宮に建造され、171sもの金で覆われた高さ16mの仏立像が作られた。また同様にワット・プラ・ラム寺院の回廊にも頭部を金箔で飾られた石仏が配置されるなど、まさにこの地には黄金に輝く寺院群が連なっていたという。
栄枯盛衰の歴史はどの時代にも繰り返される。417年の永きにわたり繁栄を誇ったアユタヤは、1767年ビルマ軍の侵攻により完全に崩壊してしまう。石仏はすべて首をはねられ、黄金は略奪された。その残骸が世界遺産として私たちの眼前に今、拡がっているのだ。
アユタヤは、チェオプラヤー川をはじめとした3本の川を運河で結び、その内側に東西約7km、南北4kmという規模の都市として築かれたものだ。この川に取り囲まれた地域に約400もの寺院群が存在する。さらに世界遺産に登録されていない川を越えた郊外にも約400の廃虚となった寺院群があるという。
なぜ、このように膨大な数の寺院群が存在したのか。その謎は、どうやらアユタヤの王たちの中央集権化への戦略にあったらしい。王の権力を絶対化するため、周辺豪族の力を削ぐ必要があった。そのため、隣国ビルマとの戦争を定期的に繰り返し、停戦しては、寺院造営を命じた。その結果が、この800を数える寺院群の林立となったのだ。
アユタヤは、まさに人類にとって一つの優れた文化的遺産であることを物語っていた。









