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今蔵(いまくら)小路は江戸時代の豪商に因んだ細長い路地だ。

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今蔵(今倉)小路/ImakuraShojiAlley


今蔵(今倉)小路/ImakuraShojiAlley
尾道の町家も京都の町家と同じく間口が狭く、ウナギの寝床のようで坪庭もあった。尾道市役所の一本北側の米場町通りに面したお好み焼き「萩乃家」の西角から、細長い路地が一直線に久保本通りの「アクセ」まで続く、これが今蔵小路だ。
この路地と一つ東の路地である三好屋小路の間が江戸時代の豪商・今蔵屋弥太郎の旧宅であったといわれている。吾輩は、今蔵をいまくらと読んでいたが、尾道市教育委員会が平成24年6月に発行している近世 尾道文化財マップ(尾道旧市街地編)を見ているとイマグラ小路と書いている。今蔵(今倉)小路/ImakuraShojiAlley

今蔵屋弥太郎の系譜を辿ると戦国時代の末期に遡る。この時代、尾道はかつて庇護を受けていた山名氏に代わり、台頭してきた毛利氏の息のかかった豪商たちが活躍することとなる。中でも天正元年(1573年)に尾道に定住した渋谷氏(大西屋)小川氏(笠岡屋)と、少しおくれての周防大内氏の遺臣・葛西氏(泉屋)の三家だ。
この中で笠岡屋と泉屋は、文禄四年(1595年)に尾道の代官に命じられ、町を支配したという。この泉屋の分家が今蔵屋ということらしい。今でも尾道町の本通りにはまだまだ古い町家が残っていて、坪庭など風情のある繁栄を極めた良き時代の名残りをとどめている。
路地の歴史を紐解くのも悪くはないが、目玉をキョロキョロ上下左右に動かしながら歩いていると、結構、面白い物件に出くわすものだ。
写真をご覧いただきたい。「ワァ!これは...」と思わず唸った。恐竜の足跡ではない。路地に棲む悪ガキニャン公が、澄ました顔して生きた証を刻み込んだ「足形」だ。不思議なことだが、二ケ所の「足形」はいずれも南から北へゆるやかな坂を登っている。(一部念入りに往復の足跡を刻んではいるが。)
この今蔵小路のほぼ中間には井戸があり、尾道の石工の技を垣間見る「大國水」とりっぱな文字が深彫りされている。
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