その縁もあって、小泉淳作画伯は、六花亭の全面的な支援を得て、中札内村の元小学校の体育館で京都・建仁寺法堂の天井に据え付けられる大作「双龍図」(写真/上)の制作に取組まれておられた。
2002年、吾輩たちは、その制作過程を見学するという幸運に恵まれたのだ。(写真/中の右側が小泉画伯、左側が高橋先生)
「双龍図」は、京都五山の臨済宗建仁寺派の大本山建仁寺創建800年を記念して、小泉淳作画伯に制作依頼されたものだ。画伯は前年、鎌倉五山の臨済宗建長寺派の大本山建長寺法堂に「雲龍図」を完成されている。
これまた大いに余談ではあるが、吾輩たちは、この年、鎌倉を訪ねる機会があり、画伯に直接この「雲龍図」をご案内いただくという幸運も得ていた。またその前後だったと記憶するのだが、画伯の陶芸展(東京南青山)にお邪魔した。このときの記念に買い求めた「我の名はシーラカンス三億年を生きるものなり」シリーズのぐい呑み(写真/左)は、今も時折吾輩を美酒で楽しませてくれる。
小泉淳作画伯は五歳で母を、十一歳で政治家だった父を亡くし、「無償の愛を知らずに育った」といわれている。その孤独感が画伯の内面を充実させ、芸術の深みを極めているのだろうか。吾輩には画伯の眼は龍の如く見え、画伯の「冬瓜」をはじめとした作品の質の高さには、心底、心を動かされるのだ。間違いなく、日本画史に残る画家だろう。
六花亭の中札内美術村には小泉画伯のアトリエがつくられ、確か「龍臥庵」と名付けられていたと記憶する。またその後、美術村には小泉淳作美術館が開設された。
折角だから、この際、当時の完成間近であった「双龍図」の制作現場見学の記録をご覧に入れるとしよう。
2009年10月現在、先生は奈良東大寺の襖絵に取組まれている。














