「お客の顔形に合わせ、その人の品格を高めるように切らにゃ、床屋とは いえないよ。髪を切るというのは、これはもう芸術なんでさぁ」と小田原さんは云う。
大正11年生まれの現役バリバリのハサミさばきは、驚きだ。 それもその筈、第4回全国理容技術選手権(昭和26年)で 第7位の栄冠を手にした床屋のプロだ。昭和12年に散髪業界に入ったというから、かれこれ70年を優に越える散髪一筋の超ベテランだ。
小田原さんのノートには、顧客の頭部の輪郭と髪型の設計図が描かれている。頭部の形状に合わせた理想の髪型を追求するというのが、彼のモットーだ。
素人には簡単に思える丸刈りにも思わぬ技術がいるようだ。丸刈りは、まず頭にチックを塗り始める。初めての経験で、少々疑問に感じ「どうして?」と質問すると、丸刈りをするときの常識だという。バリカンで髪を切りはじめると、その意味が分る。切られた髪が固まりとなって、ポロポロと落ちるのだ。なるほど...。仕事師はひとつひとつの動きにも、無駄なく合理的な工夫をするものだ。
次にハサミで全体を整髪する。このハサミ、びっくりするほど切れ味が良いのだ。未だかつて体験したことのない音で髪がスパッと切られていく...。
カウンターには何丁ものハサミと剃刀が置かれている。一人で使うには、ちょっと多いのでは、と思っていたら、小田原さんのハサミと剃刀のコレクションたるや、そんなものではない。数十丁のハサミ、百本近くの剃刀があるそうだ。
これらの道具を自ら研ぐ。研ぐ石も当然凝っている。今はもう手に入らぬという京都の本山の研ぎ石(写真/下)をこれまた十本くらいは所有しているという。本山には「たまご」「なし」といった石の色で識別される数種類のものがあり、研ぎ味がそれぞれ違うのだという。この本山の研ぎ石は刀を研ぐときに使うものだ。
そんな彼の技術に惚れ込んで、尾道に足を運ぶ常連は多い。広島、岡山、愛媛は云うに及ばず、最も遠くは、東京在住の音楽家・武久源造氏で、彼曰く「小田原さんは、散髪の人間国宝だ!!」
小田原さんは徹底した仕事師で、タバコも酒も飲まない。趣味はといえば散髪の道具道楽というべきか。84歳の今も元気に散髪道を極める。
そのエネルギーはどうやら戦時中の体験にあるようだ。彼は特攻隊101山岡部隊の生き残りで、終戦により間一髪出撃が中止となって生き延びたのだという。その訓練たるや壮絶で、35kgの荷を背負い、6kmを45分で歩く訓練や、1食にカンパン5枚で千葉館山から東京まで6日間の行軍などなど。だから、どんなことも乗り越えられると彼は云う。
上には上があるもので、ご近所の眼科医院では、99歳今だ現役という眼科医師もご活躍。その大先輩が「当面は現役90歳が目標で、それから5年ごとに目標を立て、現役100歳を目標にするんだな」と小田原さんを元気づける。(2007年6月、小田原さんの大先輩、高橋眼科の大先生は100歳になった今年、現役を退かれたが、そのあとすぐに天寿を全うされた。)
2010年11月には88歳になるという小田原さんは、今日(2010年5月23日)よりデフレ・スパイラルに陥りそうな日本経済の現状に合わせ、顧客の希望によっては「ひげ剃りなしのカットだけ」でもOKという低価格にも対応することになった。
小田原さんのことをもっと知りたい方は、
小田原散髪(その2)
さらに小田原さんの奥義を知りたい方は、
小田原俊之の散髪道
『小田原理容院』(尾道郵便局の3軒東)は予約制。
TEL 0848-22-9543
2010年10月、小田原俊之さんの御子息から電話があった。「父が倒れました。現在療養中です。もう復帰はできないでしょう。長い間、お世話になりました。」
2011年8月18日、小田原俊之さんは永眠された。享年88才。(数え年で言えば90才だ。) この情報は、吾輩の主人が小田原さんが倒れて以降、世話になっている小田原さんの愛弟子の一人・岡田理容院(尾道市東久保町)で知ったものだ。小田原俊之さんに師事した弟子は総勢31名だったという。









