辛うじて稼動していた帆布工場
しまなみ海道が開通した1999年、中小企業同友会の女性部は、この地方で1社だけとなった尾道市向島町にある帆布工場を訪れた。
帆布とは帆船の帆に使われる厚手の綿織物のこと。全盛期には全国に100を越える工場があったが、現在では10工場のみとなってしまった。
古から港町として栄えてきた尾道の象徴として、町に欠かせぬ風景の一つであったこの帆布工場が辛うじて尾道の対岸、向島にあったのだ。
実は、女性部が見学する前に中小企業同友会の男性たちが見学を済ませていた。彼等の感想はたった一言「斜陽よ。あの産業は...」であった。
そんな報告を聞いてはいたが、女性部は敢えてその斜陽産業を訪ねたのだ。
男性とは違った感性をもつ女性たち
女性部6人はかねてより、尾道のお土産品開発に興味を覚えていた。何か面白いものはないかという好奇心、興味津々の感度いいアンテナが彼女たちには備わっていた。
同じものを眺めていても、感度によってはさまざまなものに見えてくるということは、古今東西実証済みだ。リンゴをみて、万有引力を発見したものも居れば、腕を試しと矢を放ったものもいる。これはちょっと逸脱か...。
女性たちは「感動した!!」。工場の中では半分近くの機織の機械(写真/中)が休眠状態で、カタコトカタコトという音と綿ホコリの中でおばちゃんたちが働いている、その光景に感動したという。彼女たちには、この光景が「まるで宝物を見ているようだった」と述懐する。「鶴の恩返し」を連想したというのだ。
帆布を使ったアート展
帆布を使って何かアートができないものかと、彼女たちは模索していた。女性部のリーダーは木織雅子さん。彼女はかつて尾道・吉和漁港で「家船」に育ったこどもたちを預かる「尾道学寮」の保母を3年間務めたことがあった。それが縁で刊行委員会の一員として『尾道学寮物語(浜っ子の記録)』(有限会社家族社)を1年前の1998年に出版していた。
この本が朝日新聞の論説委員の目にとまっていた。たまたま論説委員の娘さんが、武蔵野美術大学の学生だったこともあり、木織さんたちの『帆布を使ったアート展』の呼び掛けに即座に呼応した。廃校となった元筒湯小学校を借り切り、美術系学生による第1回アート展が実現した。制作過程から完成まで見学できるアート展は、朝日新聞の『天声人語』に取り上げられた。
『尾道帆布』のブランド確立
一方、尾道の新しいお土産づくりはこの「帆布」だと女性たちは直感した。6人が2万円づつ持ち出して当座の資金にあてた。初めは生成(きなり=原糸)に赤、紺、緑の三色を染色してみた。次に加工。手で縫おうとしたが、まったく歯が立たない。近所に居られた縫子さんに頼んでやっと思った形ができた。帆布工場から動力のブラザーミシンを借りてきて、一応の生産行程が整った。がんばって商品化のメドが立ち、初年度の売上は100万円の実績を確保した。
以後、年商は倍々に成長して行った。商店街に店を出したいという思いが実現した。3年目には本通りの空き店舗を5万円の家賃で借りて出店した。
そして4年目。中小企業同友会の男性たちが支援の手を差し伸べた。「法人格にすれば、それぞれの会社でも支援し易くなる」とNPO法人づくりに奔走した。そして、現在では年商7,000万円までに成長した。
NPO法人工房おのみち帆布(理事長木織雅子)は、現在、店舗も当初の5〜6倍広い、より大きなスペースの新店舗に移り(写真/上、中は店内にディスプレーされた機織)、本通りに存在感をアピールしている。商品も既製のものからアーティストによる一点ものまで幅を広げ、『尾道帆布』ブランドでデパートにまで出品する実力をつけ、人気は急上昇。現在特別注文の場合は1ヶ月待ちだという。そして新たに対岸の向島の高見山の南斜面に「立花テキスタイル研究所」を立ち上げ、地元の草木染めの開発に着手、2010年12月には工房おのみち帆布の少し東の本通りに、アンテナショップを開店させた。









