実は、この山門、文和二年(1353年)の建立で、国宝の寺・浄土寺の山門(国重文)と肩を並べる優れた建築なのだ。
この常称寺は、明治時代に山陽鉄道によって境内を分断された神社仏閣の一つだ。昭和の時代には、尾道最古の氏神で大同元年(806年)建立と伝えられる由緒正しき艮神社の真上にロープウエィを設置し、我が物顔に上下させているという何とも大胆な行為も同じようなものか。
現代であれば、そんな暴挙は許されるはずもないが、吾輩は尾道はそうしたことも総べて許してきた、懐の深い町なのだと思うことにしている。
話を戻して、この常称寺は、その昔、足利尊氏が暦応三年(1340年)に七堂伽藍を建立した寺で、その後炎上、再建、焼亡を重ねながら、江戸時代には中国四国九州では最高位の時宗寺院であったという。
尾道の夏祭りを代表する一つ、神輿の三体廻しで有名な祇園社も、この寺域内にあったが、明治新政府による廃仏毀釈(神仏分離令)によって、現在の久保の八坂神社に移された。その名残りとして、常称寺の山門には、三体神輿を象徴する巴紋が見られるのだ。
室町時代のこの山門は、いまやビニールシートをかけられ、瀕死の状態だ。尾道人が守り伝える必要のある文化財だと思うのだが..、何とか早急に大修理されることを願っている。
吾輩の願いで叶ったというわけではないが、この山門、2007年末に目出たく、国の重要文化財に指定されたそうな。
そして、山陽日日新聞によれば、2008年7月12日(土)、三体神輿が午後6時、久保新開の八坂神社(通称:明神さん)を出発し、この山門をくぐり、山陽本線を渡って、常称寺本堂に並び置かれ、明治以来の139年振りに本尊・阿弥陀如来と再会する。本堂では、川崎住職と尾道市内、福山市、三原市の尾道門中の時宗寺院の僧侶が三体神輿(祇園神)へ「般若心経」を読経し、神仏混合時代さながらの仏式による儀式を執り行うという。
その後、三体神輿は時宗僧侶による念仏(南無阿弥陀仏)に見送られながら、常称寺を出発、例年通り、午後7時過ぎに渡し場(尾道渡船前)で勇壮な三体廻しを行う。尾道は祭りが実によく似合うねぇ。









