永井荷風など多くの文学者が愛した東京の下町といえば浅草。浅草と言えば浅草寺の雷門(風雷神門)とウ○○を連想させる奇妙なアサヒビールのビルディングが脳裏に浮かぶ。
そんなわけで、吾輩は浅草寺から賑わいの仲見世を抜け、雷門をくぐりすぐ左に曲がり、トコトコ歩いて行ったら前方右手に例のウ○○が見えて来た。しばし、交差点越しにその建築物を眺め、ふと振り返ると、神谷バーがあった。この店は明治13年創業という由緒ある下町の社交場であるが、何といっても印象深い「浅草1丁目1番1号」(写真下/左)。いいねぇ、この看板。ここが元祖浅草で、全てはここから始まると云っているようだ。
写真下/右は、明治15年に考案された神谷バー名物のカクテル「デンキブラン」。ブランデーをベースにしたシャレた飲み物ということでこの名が付いた。当時は文明開化のシャレものには「電気○○」と名付け、ちょっと誇らしく背伸びをしたようだ。(アルコ−ル度数30度と40度の二種類)
*写真の上にアイコンを置くとタイトルがでます。

明治17年創業の「神田まつや」
赤瀬川原平さんの『ぼくの神田体験』(隔月刊誌『自遊人』2006年3月号)に誘われ、東京にはめったと行かない吾輩は、地図を頼りに「おのぼりさん」のミーハーを決め、二日間かけて神田神保町を巡り歩いた。浅草からつくばエクスプレスで秋葉原に出て、山手線で神田駅に降り立ち、めざすは『神田まつや』。腹が減っては健脚といえども足は進まぬ。神田には有名な「やぶそば」があった筈だが、記憶をたどっても、吾が脳みそはさっぱりケータイナビ的機能を発揮しなかった。
雑誌「自遊人」のマップを頼りに、持ち前の臭覚で目的地『神田まつや』を発見した。大正14年築の建物には入口が二つ、「さて、どちらから..。」と思っていたら向かって右側に入口の表示。ガラッと引き戸を開けてビックリ、中ではざっと数えて50人くらいの客がそばを食していた。明治17年創業の「神田まつや」で、吾輩は天もり(=天せいろで大きな海老天婦羅だったなぁ1,800円)とビールの小瓶(そば味噌付き550円)で江戸っ子気分を味わった。

神田の喫茶店の草分け「ショパン」
次は、喫茶店「ショパン」に行くことに決めていた。「神田まつや」を出て、再びマップを見ると、何なに、りそな銀行を右に折れて....。きょろきょろしてると、右手に「ショパン」の看板が目にとまった。
何の変哲もないビルの一角にこの店はあった。平成元年にこの地に引っ越してきたという。ドアを開け、店内に入ると、印象はガラッと変わった。昭和8年創業の昔の店舗がそのまま大切に継承されているのだ。何気なく選んだ席には、木彫の猫の灰皿(著名な彫刻家の作品らしい)が置かれていた。ニャンとなく不思議な縁を感じるなぁ。ショパンの曲が流れる中で、ステンドグラスが醸し出すゆとりの時間をしばし楽しんだ。
「ショパン」を出て、ふと前を見るとあの「やぶそば」があった。吾輩は思わず一人で苦笑い。「ショパン」探しで目に入らなかったのだ...。
ともかくも、次なるは、かの有名な「路上観察学会」誕生の地、神田神保町をめざすことにした。

神田神保町の猫
神田から神保町までどのくらいあるのか、分けも分らずトコトコ歩いた。靖国通りをひたすら歩き、いつのまにか大きな交差点の右手前方に明治大学、左手には書店が居並ぶすずらん通り。と、するとあの当たりが「錦華公園」で、その上あたりが「山の上ホテル」か。
フ〜ン..ここは小学校か、と思いながら歩いて行くと、石碑が目に止まった。エェッ!、夏目漱石!!.....しかもその碑文は、かの有名な「吾輩は猫である。名前はまだ無い」。感激だねぇ。何とこの小学校(お茶の水小学校=元錦華小学校) で漱石先生は学んだのだ。これで、どこかにあの『猫』の子孫がいれば最高なのだが...。と、錦華公園に入って行くと、居たのだ。「猫」が...。








