世の中に美しいものが無くなってしまったら...生きて行けない!!
猫に「美しいもの」が見えるのか?って云いたいのだろうけど、「人間より動物の方がずっ〜と良く見える」というのが吾輩の最近の持論だニャン。
「自然ほど美しいものはない」、という確信は遠くカナディアンロッキーの山々や湖、荒野のモニュメントバレー、タヒチのボラボラ島やパラオの海を見るまでもなく、四季折々の頭上の空を眺めることで容易に納得いくと思うのだが...。しかし、人間の中にも「素晴らしく美しいもの」を自らの手で、自らの感性で創造する凄い人たちが居る。絵画然り、音楽然り、写真や文学においても然り。
ところが、である。近頃、その「美しい」ものの価値(基準)が、人間世界では千差万別で、無心に見て涙を流し、無心に聴いて感動する美しさという、単純明解な価値基準がどこか遠くにふっ飛んでしまったらしいと気が付いた。
動物には空気や水が濁って死に絶えていく種族が沢山あるが、ある種の人間は「美しい」ことがわからなくても生きていけるという事実に、吾輩はようやくにして気が付いた。
何でこんな訳のわからぬ話になるのか、吾輩も判然としないが、まっ、いいではないか。美しい花や風景を愛でながら幸せになる人々もいる。
そんな人には猫もシッポを振りたくなるのだ。
左の写真(上・中)は吾輩の好きな花の一つ、紫陽花である。この紫陽花は、神の国・出雲國と同様、大きな勢力を誇っていた古代吉備國の吉備津神社(桃太郎のモデルといわれる吉備津彦命を祀る古社)に咲いていた由緒正しき花。
そして写真(下)は、吉備路の象徴ともいえる華麗な美しさを見せる国分寺の五重塔と可憐なコスモスというわけだ。美しさに胸がキューンとなるのは吾輩だけではないだろう...。









