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5年ごとに開かれるエストニアの「歌う革命」とは

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エストニアの歌う革命/SingingRevolution


エストニアの歌う革命/SingingRevolution
ビエンナーレとかトリエンナーレというイタリア語は、その意味が分からないではないが、それでは「5年ごと」とは?....と考えを巡らしながらガイドさんの話を聞いていた。
エカテリーナの「カドリオル公園」から「歌の原」という野外音楽堂に案内された。バスを降り、トコトコ歩いていくと、[1869ー1969]と年号が刻まれた石柱が見えてきた。単なる野外音楽堂かと思いながら、ガイド説明を聴き終わると、「歌の原」野外音楽堂の奥深い意味を新たにすることとなった。この音楽堂は、100年を越えて続く歴史的な音楽の祭典の会場だった。
そして、この音楽堂で5年ごとに開かれるのが、ユネスコの世界無形文化財に指定されているエストニア『歌と踊りの祭典』だ。この祭典の写真は、吾輩が参加して撮ったもの、と言いたいところだが、実は、野外音楽堂入口の案内板に印刷されていた某(?)プロカメラマンが撮ったポスター写真を、チャッカリ吾輩がデジカメで写し、それをトリミングしたものだ。
エストニアの歌う革命/SingingRevolution
この祭典は、1869年にエストニア第二の都市タルトゥで始められ、以降、民族高揚運動の一環として民族独立の大きな力となり、「歌う革命」(Singing Revolution)に昇華した。この「歌う革命」は、1987年から1991年にかけて発生した、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)のソビエト連邦からの独立を目的とする一連の出来事の総称でもある。そして1991年のソビエト連邦からの独立の際、非暴力の姿勢を貫き、革命集会において、全人口の3分の1に当たる40万人の民衆が、歌による独立の決起を促したことから、世界的に知られている。前回の2004年7月に行われた祭典には、2万人の出演者と15万人の観客が参加したそうだ。もちろん日本からも合唱団が出演している。聞くところによると、2万人の出演者が一人の指揮者の指揮棒に一点集中して歌うのだそうだ。その様を想像すると鳥肌が立ってしまう。
『エストニア』の魅力を語るには、吾輩では余りにも肩の荷が重すぎる。日本の九州くらいの国土のこの国には、1,500以上の島々と1,000以上の湖があるといわれ、ほとんどが平地。山というには低すぎる卵山といわれる「スール・ムナマギ」(標高318m)が一番高い山だという。そんなエストニアをさらに知りたい方は、エストニア共和国外務省の公式サイトをご覧あれ。(2006年10月)
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