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北海道はといえば大自然、それは美瑛町で実感できる

新星館1/Shinseikan1


新星館1/Shinseikan1

広大な北海道、その風景は富良野ではなく、美瑛町にある


7月の北海道といえば、富良野の丘に咲き誇るラベンダーやポピーがイメージとして吾輩の脳細胞に植え付けられていた。ところが実際に足を踏み入れてみると、吾輩の心に新たに刻まれた北海道の印象は、白金温泉の先にある十勝岳の望岳台で見られる広大な大自然であり、富良野、中富良野、北富良野のそのまた北にある美瑛町の自然だった。
たぶん大多数の日本人の脳細胞は、無意識の内に擦り込まれた「北海道=広大」と反応してしまうはずだ。ところが、富良野ではそのスケールをあまり感じることができなかったのだ。その風景は、写真家・前田真三が切り撮ったファインダーの中にあり、美瑛町にあった。この地では谷間の残雪が見られる大雪山山系を背に、緩やかな曲線を描く丘、その大地にさまざまな農作物が植えられ、刈り込まれ、耕され、さまざまなフォルムと色彩を放ち、緑の森や青空とともに美しい風景を構成していた。新星館1/Shinseikan1

 

美瑛町で必見の美術館「新星館」


美瑛町には二つの美術館がある。一つは観光ポイントになっている前田真三の「拓真館」であるが、もう一つ、意外と知られていないが、画家・須田剋太と陶芸家・島岡達三のコレクションを展示する「新星館」だ。国画会に所属していた須田剋太(1906-1990)は、司馬遼太郎(1923-1996)の紀行文集「街道を行く」の挿絵画家としても有名。島岡達三(1919-2007)は益子焼の陶芸家で人間国宝だ。
富良野や旭川に来て、この「新星館」を見ないのは、余りにも損失が大きいと吾輩は思っている。アートに興味が薄い人にも、これはもう必見の美術館だ。
新星館1/Shinseikan1
この私設の美術館は、新潟県の糸魚川にあった築200年の古民家を移築したもので、館長の大島 墉氏が33軒目にしてようやく探し当てたものだ聞いた。有名な建築家の設計による美術館でも、感動することが多くない中で、馬や鶏と同居した生活を営んでいた、この日本農家の木造家屋の魅力も相当なものだ。吾輩の記憶に残る美術館といえば、最近ではやはり谷口吉生の土門拳美術館や猪熊弦一郎現代美術館だろうか。
大阪出身の大島館長が、長年の夢としていた美術館建設の地をこの美瑛の丘と選んだ話、毎年5月から10月の半年間を大阪から単身赴任し、この美術館で美瑛の自然と須田剋太の芸術世界に身を委ねる話、司馬遼太郎を介して出会った須田剋太とのエピソードなど、大島館長に直々の話を聞くのもよいだろう。
それにしても北海道には行きたいが、時間的ゆとりや懐の広さはあってもゆとりがないという御仁も居るだろう。そんな人たちに、吾輩は是非にも知って貰いたいという尾道人特有のお節介で、特別に『新星館2』で詳しくご紹介することと決めた。
次に続く
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