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この通りにはとっておきのレトロな建物がチラホラと点在していて

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米場町/KomebachoStreet


米場町/KomebachoStreet
今から250年ほど前を想像してみてはいかがだろうか。漱石先生に紹介いただいたもっとも有名な吾輩の祖先も生まれていない、チョンマゲの江戸時代にタイムスリップしなければならない。当時の尾道は北前船をはじめ、多くの船が入港していた。そしてこの界隈は、現在の小さな尾道市立「おのみち博物館」の西側の前当たりから、水尾町小路の南どまりから東へ行き新開どまり、さらにこれを南行して黒門(現在の高亀医院の亀を連想させる建物あたり)どまりに入り江があったという。そして1755年に埋め立てられたのが、今の米場町ということだ。この埋め立て地に当時から米市が立っていたので、「米新地」「米場町(こめばちょう)」と呼ばれるようになった。それから百年余りが経ち、1888年には高商年修了者を入学資格とする修業年限4か年の公立尾道商業学校(現広島県立尾道商業高校)もこの地に開校された。
今では2軒の米屋しか残っていないが、この通りには、多くのレトロな建築物が点在している。西の入口には海産物問屋・村上商店のレンガ築きの三階建てで、最上階が蔵になった不思議な建物。数年前までこのレンガ壁に密着して、猫の額ほどの「だるまや」というのノコギリ屋があった。さらにちょっとレトロな新喜農機具店、その先には1904年(明治37年)に建てられた元住友銀行尾道支店(全国で神戸支店と尾道支店が最初につくられた。)、1909年(明治42年)の創業以来この地にあるという向酒店、そして道を挟んで東側に、かつて銀行だった建物を利用した「おのみち博物館」がある。この米場町から本通りには、多くの路地が抜けている。赤瀬川原平さんはこの路地を見て、「江戸時代の路地だねぇ。」
余談になるが、「おのみち博物館」は、旧広島銀行尾道東支店であったが、そのルーツは、1923年(大正12年)に尾道銀行本店として建てられたもの。当時、周辺には住友銀行を筆頭に、第六十六銀行、尾道貯蓄銀行などが軒を連ねていたようだ。現在の尾道市役所や公会堂は、その浜を埋め立てし建てられたもので、この一帯が昭和40年代まで「銀行浜」と呼ばれていたのはそのためだ。
その銀行浜を埋め立てて造られたのが、尾道市庁舎と尾道市公会堂だった。1960年当時、東京大学教授の丹下健三と同時代で、ともに活躍していた京都大学教授の建築家増田友也が設計した尾道市の市庁舎と公会堂は、後世に残すべき文化的価値があるとし、日本建築学会中国支部が尾道市長に提出した保存活用の要望書を平谷祐宏市長は無視し、増田友也生誕100年の年に解体を決定。市民の多額の寄付で造られた公会堂の耐震性能も調査せず、平成30年に公会堂を解体し、その跡地が液状化すること、さらに尾道市の人口が激減することを知りながら、現在の1.7倍の大きさの新庁舎建設を着工させた。
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