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目を閉じて電信柱に手を当てると尾道町のド真ん中で森林浴ができる!?

記憶の中の人や店や建造物/Inmemory> 夜の街・新開に聳える木製の電信柱/TelegraphPole

夜の街・新開に聳える木製の電信柱/TelegraphPole


夜の街・新開に聳える木製の電信柱/TelegraphPole

これぞ電信柱の原形


夜の街・新開に聳える木製の電信柱/TelegraphPole
トップに載せた写真は、縄文時代の樹木の化石!?ではない。平成19(2007)年1月の今も、雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも冬の寒さにもへこたれず、重たいトランスを抱えながらも、路地が入り込む歓楽街「新開」のド真ん中に聳え立つ中国電力の現役の木製電信柱だ。山陽日日新聞の記事によれば、この木製電柱は昭和35(1960)年に設置されたもので、高さ17m、胴周り150cmの堂々とした大樹だ。
しかも、この電信柱が立つ角には、昭和25(1950)年の建築基準法制定以前に建てられた木造三階建ての家屋(タバコ屋)が「電信柱には負けないぞ!」とばかりに今も元気だ。
大都市になるほど電線の地中化がどんどん進み景観が一変するが、この一角ばかりは電線が幅を利かせ、電信柱が風景の質感を高める。この木製電信柱はもう路地と同じで、尾道の文化財的存在だ。
それにしても、この一角は映画のロケ地さながら「昭和の匂い」プンプンだねぇ。時代は刻々と変わるもの。ダンディズムの象徴だった「カサブランカ」の愛煙家ハンフリー ボガードのようなカッコ良さはもう見る影もない。
新開という歓楽街(尾道市久保2丁目)のど真ん中にあるタバコ屋の看板娘さえ、自動販売機に地位を奪われ、その姿を消してしまった。
ありとあらゆるところで喫煙家は片隅に追いやられ、やがては自動販売機さえ消え行く運命なのだろう。とはいいながら、堂々とくわえタバコで闊歩する女性(男性も)のカッコ悪さが目に余るこの頃、日本人の美意識が崩れているのだと実感するだ(2007年1月18日)夜の街・新開に聳える木製の電信柱/TelegraphPole

木製電信柱の危機


「電信柱の原形」がひょっとすると消されてしまう?! 尾道で残したい物件の一つ、新開のド真ん中に聳える「あの木製電信柱の巨木が消える?! 」のではと不安がよぎる。そんな予感が的中してしまった。たまたま、吾輩の縄張りである新開をウロウロしていたら、この光景に出会し、目と口がポカンと開いてしまった。将来は尾道の文化遺産といわれてもいい木製電信柱とは別に、道を挟んで、新たに金属製の電信柱が立っているではないか!! これはひょっとして、電力会社は木製電信柱を撤去するということか。そうだとしたら、大変だ!!
素人考えではあるが、まだまだ「電信柱の原形」の耐久性には問題ないと思うのだが....。
歴史都市では、ものごとすべて行政的な画一的処理が一番の愚策だ。一つ一つの物件に愛情をもって、その都市、その地域の歴史のベクトルを読みながら、知恵を出し対応策を考える必要がある。
今や「文化が経済を誘発」する時代だ。文化を理解できない企業や行政には、将来を期待できない。まして地域社会に貢献できない企業は、将来的に生き残れないと思うのだが....

木製の電柱が姿を消した!!


半世紀以上も新開という歓楽街のど真ん中に聳えていた木製の電信柱がついに姿を消した。2007年4月15日(日)のことであった。この日は淋しく雨が降った。
吾輩としては、木製電信柱の丈(長さ)がたとえ半分に短くなっても、例えば尾道町のどこかで裸電球の街灯をつけた電柱として生き長らえさせてほしかった。行政は何の知恵を出さず、スクラップ&ビルド。尾道には都市デザインというものがまったく理解させていないからねぇ。(2007年4月)
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