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西國寺の参道は寺のまち・尾道を象徴する道だ。

路地/Roji> 西國寺大門と西寺小路/SaikokujiDaimonStreet

西國寺大門と西寺小路/SaikokujiDaimonStreet


西國寺大門と西寺小路/SaikokujiDaimonStreet
尾道町には、浄土宗、曹洞宗、時宗、浄土真宗、日蓮宗、真言宗の寺々や神社が、尾道三山に沿ってずらりと居並ぶ。「大屋根は、みな寺にして風薫る」と詠われるほど、このまちでは甍が目に止まるのだ。
ところが、尾道では、風情ある参道が今も残る寺は数少ない。明治24年の山陽鉄道の敷設や昭和の国道2号線の幅員拡張で、ほとんどの参道が削り取られてしまった。『これはまさに神をも恐れぬ人々の為せるわざか』と言いながら、吾輩はまったく宗教に縁遠い存在でなのだが…。
尾道には、まだまだそれを超える事例がある。806年に建立されたという尾道最古の神社で、霊験あらたかな艮神社の真上にロープウェイを通して、皆で足蹴にしているという大胆さだ。こう考えるのは、小心者の吾輩独りの邪推というべきか。
こんな尾道で、かつては昼寝寺の異名をもっていた浄土真宗浄泉寺の土塀に沿って、西國寺の山門まで続く路は、寺町の風情を留めた数少ない参道なのだ。この参道を年配の市民は「西國寺大門(だいもん)」と呼ぶ。
大門とは当然山門を指すが、西國寺の山門は、阿吽の二体の金剛力士(仁王)が眼光鋭く睨みを利かせる仁王門で、仁王の脚にあやかってか、健脚を祈る大わら草履が飾られている。その大門に畏敬を込めて当初は『西國寺大門通り』と呼んでいたのが、いつの間にか参道自体を『西國寺大門』と呼ぶようになった、とは吾輩の勝手な推測である。吾輩の推測も満更間違ってはいないのではと思うが、いかがであろうか。
手元にある近世尾道文化財マップ(尾道市教育委員会発行)を見ていると、久保本通りから西国寺大門に至るJRのガードまでの短い路地が、西寺(にしてら)小路と書き込まれている。江戸時代の文政4年の古地図を眺めていると、西國街道(現・久保本通り)から西國寺山門石段まで続く「西國寺大門」に通じる小路を西寺(ニシテラ)小路と呼んでいたのではないかと思ってみるが、どうもそのあたりは確証がもてない。
兎も角も、明治24年(1891年)に山陽鉄道が開通して以来、今日まで存在しているJR山陽本線のガードを潜ると、まず見えるのが、ゆったりとした坂道の向こうに、愛宕山(俗称:西國寺山)の緑に映えて美しい西國寺の朱色の三重塔だ。やがて、左手の三叉路が正言小路の入り口、それを過ぎてしばらく坂道を上ると、大山寺や御袖天満宮、福善寺に抜けるれんが坂の入り口に差し掛かる。このれんが坂は、明治・大正時代はデン(木の偏+電の旁)ギ(木)坂と言っていおり、その後には蓮華(れんげ)坂ともいうようになったようだ。また右手には西郷寺、正念寺、浄土寺に繋がる路地がある。さらに脇道を通りすぎ、参道正面に目をやると、石段と大藁草履のある仁王門(山門)が見えて来る。
その門を潜り、継ぎ目のない御影石でつくられた切り立つ石段をズンズン登って行けば、西國寺の金堂に繋がる。山門手前の石段から本堂のある境内まで続く石段を数えると108あるそうだが、吾輩は未だ数えたことはない。そして春、西國寺の石段周辺は、知る人ぞ知る、桜を愛でる格好の場所なのだ。
  • 西國寺大門と西寺小路/SaikokujiDaimonStreet
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