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「赤シャツ」こと谷口明王

尾道で赤シャツを知らなければもぐりといわれた..。
「赤シャツ」こと谷口明王

尾道ファン倶楽部・名誉会員

 本通りを歩いていて、必ず目に止まる「人」がいた。尾道郵便局の玄関先に特別仕立ての原動機付きショウーウインドゥを駐車し、毎日、靴の販売と修理を請け負う靴屋「赤シャツ」こと谷口明王さんである。
 なぜ、「赤シャツ」といのかは、彼の出で立ちをみれば「ふ〜む、なるほど」とうなずける。上着からズボン、靴下、下着から靴まで徹底した赤のコスチュ−ムがトレ−ドマ−クで、勿論エンジン付きの移動店舗も赤色である。
 彼を有名にしたのは、当時、広島県では強豪の尾道商業高校野球部の応援に球場に出向き、例によって赤尽くめの衣装で応援する姿がテレビで放映されたのがきっかけであろう。
 彼はまた、今では当たり前となっている見て見ぬ振りする大人たちとは違い、社会的に過った行動をとる若者を叱りつける、昔堅気の良き人であった。通学時間ともなれば、渡し場通りでの交通整理で、ルールを守らぬ自転車通学の高校生たちは、大目玉を貰う。それが彼の日課だった。寂しいことだが、もうそんな彼を見ることはなくなった。

 『西久保町の谷口明王さん、通称「赤シャツ」さんが1998年4月29日、脳梗塞で死去、また一つ尾道の名物が消えた。行年77歳。
 赤シャツさんは、福岡県若松市生まれで、60年ほど前に尾道に来て商売を始めた。最初は衣類販売をしていて、最後までどうしても売れずに残った赤シャツを着たのが始まりで、それ以後は身につけるもの全て「赤色」を貫き、そのユニ−クな姿は全国的にも知られた。耕耘機を改造した赤い車を使って尾道郵便局の横で靴を販売、修理業を永年商い、交通整理や交通遺児募金の活動もしてきた。』
(山陽日日新聞社記事より転載)


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