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おのみちホッとコンサート

初めに「クラシック音楽を楽しむ会」あり、そして名を改め....。
おのみちホッとコンサート
おのみちホッとコンサート
おのみちホッとコンサート

 「おのみちホッとコンサート」には会規約がない。この会は、もともと「クラシック音楽を楽しむ会」という、いとも単純なネーミングをした組織らしからざる団体で、いつ空中分解してもよいほどのひ弱な組織であった。
 発会当初のメンバーは音楽的素養の全くないズブの素人三名で、初めて主催するコンサートが1993年11月の「ウィーン王室室内弦楽オーケストラ」という一大事業で、大胆極まりない行動をする無謀な組織でもあった。
 と、こういった説明では、崇高な目的を抱き会を結成して、その第一弾が「ウィーン...」というように想像されると思われるが、現実はそうではなく、「初めにコンサートあり」で、主催するのに一人では社会的に信用がおけない、信用されるには団体でなければ。団体は人によると三名以上だと聞き、それではと仲良し恋しで、友人に声をかけ、にわか「クラシック音楽を楽しむ会」を結成したと云うのが真相である。
 それはこの前年にメンバーの一人が立ち上げたビサン ゼセッション(Bisan Secession)というの社名の由来となっている19世紀末の芸術運動「分離派」とコンサートの音楽が、「ウィーン」という一つの都市で偶然に結ばれていたという単純な理由によって実行に移されたのだ。
 この第1回目のコンサートが不幸にも30万円の赤字で納まってしまった。それを聞くと、へぇ、「幸運にも」30万円の赤字で納まった!のではないかと思われる人もおられるだろう。実は、その「不幸にも」には深い意味があるのだ。
 30万円の赤字で済んだことが変な自信となった。その翌年1994年7月、またまた「ウィーン・アイヒェンドルフ五重奏団」を主催した。出演メンバーは若く美しいピアニストのインゲボルグ・バルダスティーとウィーン・フィル、ウィーン・フォルクスオーバに所属する管楽器奏者たちであった。
 柳の下には2匹目のドジョウはいなかった。演奏者のレベルは高くても、尾道には、その当時も気軽にクラシックを楽しむ観客が多くはいなかった。大きな赤字を出してしまった。
 2回のコンサートで累積赤字100万円だ。ここでへこたっては男が廃る。とは云うものの、不思議なことに、困った時にはさまざまな手が差し伸べられるものである。
   1994年、ウィーンにあるオ−ストリア国立芸術史博物館でフォルテピアノの修復を手掛ける山本宣夫氏のアドバイスと協力で、招聘する演奏家をウィーンから日本国内に求めた。ギャラが安くとも音楽的レベルの高い本格的な音楽家たちを紹介してくれたのだ。
 ギャラが高ければ、音楽的レベルが優れているのか、と云えばそうでもない。商業主義に影響され、需要が高ければ(=テレビなどのマスメデェアに乗り、知名度があれば)ギャラもおのずと高くなるのである。そんなことが漠然と分ってきた。
 悪戦苦闘の活動を続けている内に、尾道市内の優良企業である丸善製薬株式会社から支援の申し出があり、その資金的援助は2000年から2007年春まで続いた。

 大きな債務を抱えた事が、尾道の音楽的活動の中で、結果的に功を奏し、組織を結成以降14年もの長きにわたり、コンサートを続けることになる。やがて、「おのみちホッとコンサート」は黒字に転換し、1993年11月から2007年10月までに係ったコンサートは50回を数えた。
 そして2007年11月、「おのみちホッとコンサート」は総勢15名のメンバー構成による新組織「おのみちアート・コミュニケーション」と名前を改め、さらなるステップへ進化して行く筈である。その第一弾となるイベントが『おのみちアート・コミュニケーション in 東京』なのだ。

   

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