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上海見聞録

横たえる龍が動き始めた。この龍が立ち上がったとき...。
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上海空港に降り立つ
 現地時間で午後5時すぎ、私たちが搭乗した中国西北航空WH294便は2時間の空の旅を終え、上海空港に着陸した。着陸体勢をとり下降するにしたがって、機は大きく揺れ、少々の不快を感じたのだ。窓からの眺めはどんよりとした雲ばかりだった。悪天候で機長はさぞかし気を使ったことだろう。
 タラップを降り、雨の上海空港に立つとホッとした。それにしてもこの空港は大都市上海の規模からすれば、なぜか閑散としている。社会主義国のせいだろうか。
 小走りで雨をさけながら、送迎用のバスに乗り込んだ。やがて、運転手が鼻歌まじりにわれわれをタ−ミナルに案内した。さあ、入国手続きをと思ったが、何だか事情が違っている。最初は浮かぬ顔のほかの団体客も、だんだん慌てた様子で右往左往し始めた。
 わが社の添乗員Dが空港係員に確認したところ、どうやら国内線タ−ミナルに誤案内されたらしい。海外でこんな経験は初めてだった。やっぱり中国だなと実感した私だが....。

華やかな上海の横顔
 返還された香港には二度も行ったが、中国本土は初めての体験だった。空港から高架環状道路を経由して、バスは上海中心部に入っていった。曇った車窓の合間から見る街並みは大都市の容貌をちらつかせ、環状道路を下りたあたりから交通渋滞と街の喧噪がわれわれを迎えた。やがて、バスは中山東路に入り、夕食場所である和平飯店に到着した。
 和平飯店は別名PEACE HOTELという。ホテルの正面ドアには美しいドア・ガ−ルが立ち、笑顔でわれわれを迎え入れた。天井が高く、広々とした空間はヨ−ロッパのホテルの格調を漂わせ、落ち着いている。
 この界隈は租界の名残りで、1930年代の華麗なたたずまいを今に伝えているのだ。楽しい談笑を交え、上海料理に舌鼓を打ち、午後7時一斉にライトアップされる石造りの街並みを後に、われわれは宿泊場所である花園飯店に向かった。
 上海での3日間を過ごす花園飯店は、日本のオ−クラが経営するホテルで別名GARDEN HOTEL SHANGHAI という。ホテルが二つの名前をもつのも可笑しい話だが、これも中国らしさか。フランス租界時代のこの建築物は五つ星にふさわしくゴ−ジャズで、上海で唯一の水道水が飲める一流ホテルだと現地ガイドの説明だった。われわれは、その説明通り快適な3日間を過ごすこととなった。

あらためて実感した中国という国
 早朝、ホテルの10階に位置する部屋の窓越しに街路の往来を眺めていた。トロ−リ−バス、自動車、単車、そしてスッポリまるごと自転車まで被った赤、青、黄と色とりどりのレインコ−トの通勤者たち。その動きにしばし見とれていた。今日も雨だ。
 午前中、研修旅行の主たる目的であるNTT上海事務所とJATA(日本貿易促進協会)を訪問した。大都市上海に関する約2時間の研修は、中国という国、上海という都市を理解するのに有益だった。

 1,700社の日本企業が進出し、年間100万人もの日本人が往来する上海は、北京、天津、重慶と中国政府直轄の四大都市の一つで、中国最大の産業都市だと聞いた。この巨大都市には、登録人口で1,400万人、出稼ぎ労働者など含めるとおよそ2,000万人が集中しているという。そして、人口13億とも15億ともいわれる中国全土の一人当りの総生産は400ドル、上海は3,000ドルとその格差が極めて大きいことも改めて認識した。
 人事の国といわれ、儒教圏特有のエモ−ショナルな要素の強いこの国ではあるが、日本的に画一的な観念で中国の国家観をもつことは誤りだという。われわれの想像を越え、各省、各市、各村ごとに文化、経済が異なる地理的大国で、上海は確実にその牽引者として発展すると予想されている。
 15年前の香港の状態にあるというこの大都市が、その膨大なエネルギ−を爆発させ、21世紀ではどのように変貌するのだろうか。
 世界の1/5の建築用クレ−ンが集中する上海には、現在4,000件ものビル工事が進行中だという。この上海に象徴される超過密国家で、今、ドラスティックなまでの変革がモ−レツなスピ−ドで始まっている。
 核家族化による大家族主義の崩壊と老人疎外、市場原理導入による国営企業の低迷とリストラによる失業、急激な社会変革による落伍者の増大、融通無碍に精神性の欠如した現実主義等々、多くの矛盾や問題を抱えながらもそれらを呑込んでいく巨大国家・中国を意識さざるを得ない。

めまぐるしい上海の交通事情
 中国の威信をかけて建設された東方明珠テレビ塔や高層ビル群は、最上部を霧で隠し、雨に煙る上海の空にまるで須彌山のごとく立ちはだかっていた。
 東方明珠の厳しい警備体制の受付を抜け、エレベ−タ−で一気に昇った263mの高さの展望席は、雲上のごとく、霧に包まれていた。時折吹く風で、辛うじて霧の晴れ間から下界が見える。
 われわれは再び下界に降り立ち、つぎの目的地へとバスは移動した。下界の現実は、メインストリ−トを除き街路にはセンタ−ラインもなく、僅かな信号機も無視されることがしばしばだ。勇気ある凶者だけが我がもの顔でマイウェイを驀進する。
 交通事故があると交通巡査が現場に到着するまで事故車は放置され、アッという間に大渋滞が始まる。その事故現場で、巡査の個人的な判断で過失度合いが決定されるという。我々は、運良く反対車線で事故現場に遭遇した。渋滞に捕まった車は、解決されるまで、かなりの辛抱が必要だ。その間、周囲ではクラクションが鳴り響いていた。
 ここでは一人の命の保証額はたったの50万円だと聞いた。うかうかしてはいられない。とはいうものの現地の人々の自身を守る術は心得たもの、交通事故は大して起きないそうだ。日頃の訓練がなせる結果なのだろう。保証された社会に住むわれわれ日本人が、精神を鍛練し自立するには、この上海が格好の修行の場かも知れないと考えるのは不遜なことか。
 街の様相は一ヶ月で変わるという上海だが、通行規制も目紛しく変わるらしい。昨日通った街路も今日は侵入禁止という具合なのだ。雨の中、わがバスの運転手君もきょろきょろ道路標識を確認しながらの離れ業を要求される。こんなお国柄だからこそ、上海雑技団の信じがたい妙技にも納得するわけだ。
 今、この横たえる龍が動き始めた。この龍が立ち上がったとき、世界は否応なく、その渦巻きに巻き込まれ激変することだろう。

圧倒される上海博物館と上海雑技団
 台北や北京の故宮博物院はいまだ拝観したことはないが、上海博物館に陳列された様々な展示物は、四千年以上の歴史を誇る中国の奥行きの深さを味わうに十分だった。1時間30分という拝観時間は余りにも短すぎたが、限られたスケジュ−ルの旅だけにいたしかたない。
 中国では圧倒されることが実に多い。上海雑技団もその一つだ。劇場の膝掛け椅子にサイドテ−ブル付きという、豪華な客席に着き、売店でコ−ヒ−を頼めばシ−ト・サ−ビスが受けられる。もっとも、中国の航空会社の機内サ−ビス同様、中国では昔懐かしい砂糖入りのホットミルクコ−ヒ−が主流らしく、私のようなブラック党の嗜好は無視されているようだ。
 突然、照明が落とされ、華々しい効果音が流れ始める。ステ−ジに女性司会者が現れ、流暢な英語でショウの開幕を告げる。やがて続々と登場する美男美女の繰り広げる絶妙な演技に、思わず固唾をのむ観客たち。その張り詰めた緊迫感が会場一面に波及して行く。
 観客は、ショウの終わりとともに、エアコンのない会場の寒さに気付く。そして、開け放たれた劇場の扉から、追い討ちをかけるように外気が猛烈な寒風となってど−と吹き込んで来た。

知っておきたい予備知識
 三日目の朝。例によって、部屋の窓から見える風景は、チラホラと鮮やか色のレインコ−トを羽織った通勤者の群れ。また今日も雨かと思ったが、外は雨の代わりに凍てつく寒さが体を震わせた。特製レインコ−トは防寒用にも使われるらしい。
 われわれ一行は上海の渋滞と喧噪をくぐり抜け、一年前に開通したという上海と南京を結ぶ高速道路に入った。斬新なデザインが施されたゲ−トの下には20箇所くらいの料金所が設けられていたが、通行車両は閑散としていた。
 高速道路に入り、バスは一路蘇州へと向かった。われわれ一行がアングリと口を開け、心地よい揺れに身を任せ居眠りしている間、現地ガイドがひっきりなしにバス運転手君に話し掛ける。後で分かった話だが、御当地では高速道路も少なく、緊張の上海交通事情から一挙に解放された気の弛みで、ついついドライバ−は居眠り運転ということになるらしい。道理で現地ガイドが二人もつくわけだ。バスの最前列の席に着きたい方は、くれぐれも居眠りをなさらぬよう。
 これから上海に行かれる方には、特に参考になると思うが、まだまだ知っておきたい予備知識がある。
 一つは、お馴染み「カラオケ・バ−」だ。日本文化が世界を席巻したとも言えるカラオケの看板も、御多分に漏れず、ここ上海でも乱立していた。しかしながら、上海の「カラオケ・バ−」はピンク色に染まっているという。少々お高いプライスをお支払いいただくことになるようだ。
 さらには、ホテルの入り口あたりで甘いささやきに誘われ、わくわくしながらビ−ル1本。これが十数万円と跳ね上がるらしい。モテる(持てる)ものから持ち得ないものへ、貨幣が環流するという社会貢献の志を貫かれたいお方には、良いのだが...。
 もう一つ、日本を除くアジアでは、ス−パ−やデパ−ト以外のお店では、一般的に正札という概念がないということだ。概念がないのだから、少々吹っかけても罪悪感はない。売り手と買い手の折り合いが価格を決めるという由緒正しき商慣行に従っているのだ。自らが見極めるという自立心がここでも必要のようだ。
 上海出発から約2時間30分、夢と現実をさまよっている内に、ようやくバスは古都・蘇州に着いた。

上海の喧噪から風情ある古都・蘇州へ
 水の都・蘇州は、落ち着きをもった風情ある街だ。あの有名な上海蟹は、実はこの蘇州の湖が産地ということだ。豊かな水がクリ−ク(運河)を満たし、静寂な水面が鏡のように両岸の街並みを映している。
 このクリ−クは、街のあちこちに見られる。蘇州では、昔、船が交通の主役であったことをクリ−クは物語っている。東洋のヴェネチアといわれることもうなずけるのだ。
 白壁と黒い瓦葺きの街並みが、樹木を際立たせ、都市空間を豊かにしている。零下5度という透き通った寒気が、いっそう空間の奥行きを感じさせる。
 蘇州から乗り込んだガイドは、流暢な日本語と巧みなジョ−クを交えながら説明を始めた。われわれはつい話に引き込まれ、何度も爆笑してしまった。日本人向けのプロフェッショナルというところか。
 蘇州は、紀元前560年に呉の国の都となって以来、今日まで続く古都だ。そして上海蟹のほか、刺繍や帯がこの街の特産品という。蘇州は日本との交流が古くからあったらしい。日本のきものを売る店を呉服屋というではないか、とはガイドの弁。きものは呉の服と説明したが、真偽のほどは定かではない。
 われわれは、ピサの斜塔を思わせるレンガ造りの虎丘斜塔、昔の官吏が賄賂を注ぎ込み贅をつくした拙政園、そして唐代の詩人・張継の「楓橋夜泊」に詠われた寒山寺を訪ね、ことのほか音色良く響く鐘を思いのまま突いた。寒山寺の鐘は、除夜の鐘として日本にもテレビで紹介されたという。
 浅学非才で漢詩など詠める筈もない私でも、蘇州では思わずその気分になってしまう風情なのだ。

紹興酒と広東料理
 グルメではないので料理解説はできないが、旅の印象は食べ物で九分九厘決まってしまうとは良く言ったものだ。
 3泊4日の上海・蘇州の研修旅行も最後の夜を迎えた。上海雑技団の余韻を引きずりながら、われわれは花園飯店に向かって足を早めた。大陸性の気候はやはり冷え込む。劇場からホテルまで、ものの2〜3分と近いのだが、いざ道路を横断するとなると、ちょっと危なっかしい。車と単車と無灯火で走ってくる自転車の合間を縫って、上海流の勇気を奮い起こし、一斉に走るのだ。朱に染まれば赤くなるとはこのことか。
 われわれは、たった3日間ではあるが、馴染みの客といった顔つきでホテルのロビ−を横切り、エレベ−タ−に吸い込まれる。上海最後の夜の晩餐をこのホテルの32階にあるバンケットル−ムで予定していたのだ。
 五つ星だけあって、料理はすこぶるおいしい。ゆったりとした部屋でウエイトレスのサ−ビスを受けながら広東料理を堪能した。おいしい料理にはおいしい酒がつきものだ。中国の酒に馴染みのない私は、この3日間もっぱらビ−ル党を貫いていた。
 上海第一日目の夜、和平飯店で出された中に白酒があった。白酒は蒸留酒で見るからにのどと胃が燃えるようだ。たいそう高価なものだったが、アルコ−ル度数52度の発する強烈な匂いがアブサンを連想させ、まったく手をふれなかったのだ。
 紹興酒は、日本で数回飲んだ経験があるが、おいしいものではなかった。そんな経験が中国酒を遠ざけていた。しかし、今日は最後の上海だ。
飲まず嫌いという言葉があるかどうか、花園飯店で出された紹興酒は10年もので、これが実においしい。紹興酒には砂糖を入れるのをよく見かけるが、そんなものは必要ない。ぐんぐん量がすすんでしまった。
 翌日、上海空港発(現地時間12時05分)、近くて遠い中国大陸を飛び立ち、われわれは見慣れた風景と現実の生活が待つ日本に向かった。日本時間で午後3時、WH293便は広島空港に着陸した。
 短い3泊4日の上海、蘇州の旅を思い出しながら、いつかもう一度どっぷりつかって、街をさまよってみたいと思っている。(1998年1月24日)


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