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丹花小路

「たんがしょうじ」という路地には興味深い歴史の謎が...。
丹花小路

丹花小路

丹花小路
 ときは平安中期の頃、平将門が関東で朝廷に叛旗をひるがえし、瀬戸内海では同じく藤原純友が反乱を起こした。承平天慶の乱と呼ばれるこれらの反乱のうち、将門の乱は2ヶ月で平定されたが、純友の乱は2年という長きにわたった。
 この純友の乱に加担した海の豪族の中に「備後國には尾道六郎」という名が見られるという。この尾道六郎の館「丹花城」が、福善寺の城山墓地にあったというのだ。(未だそのことは実証されてはいないのだが...。)
 今の城山墓地の南側は絶壁になっているが、これは山陽鉄道施設(明治24年)のために掘られたものだ。この絶壁に相対した所を丹花城に因んでか、「丹花」と呼んでいたようだ。そんなわけで、橋本小路から久保本通りを横切り、「丹花」を通り長江に抜ける最短距離のこの路地を「丹花小路」と呼ぶ。
 今も続く尾道の祭りに「祇園祭」がある。昭和2〜30年代までは一週間くらい続く大掛かりな祭りで、そのクライマックスは勇壮な喧嘩神輿の「三体廻し」だ。この祭りにつきものが露店の「丹花飴」というものだった。
 「丹花飴」はもろ蓋いっぱいに入っている白い硬い飴をノミで割りながら売っていた。この飴になぜ「丹花」という名前がついたのか、二つの説があることをご紹介しよう。一つは、「丹花小路」には数件の飴屋があったという説、もう一つは丹花の絶壁のようにノミで割って売られるその形状から付けられたという説だ。どちらに信ぴょう性があるか、ご判断はお任せする。


路地の情報
名称
丹花小路
約2.1m
長さ
約70m
動線種類直線
ほぼ直線と緩やか曲線
方向
タテ軸(南北)
こう配平坦
ゆったりとした坂と勾配のある石段
舗装地道
アスファルトと石段
両側の建物
モルタル、木造

舗装の年季度
生活臭
尾道的風情度

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