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内子町のお正月(その1)

愛媛県内子町の八日市・護国町並みを歩けば...。
内子町のお正月(その1)
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 お正月を写そう! という樹木希林のコマーシャルの影響ではないが、吾輩は2007年元旦の内子町を隈無く歩いて、興味ある被写体を見つけてはデジカメのシャッターを切りまくっていた。無意識の内にも、世界中で一番のカメラ好きの民族の影響を少なからず受けているようで...。
 心が向くまま、気の向くまま、まるで芸術家気取りで、目にする被写体を追いかけて路上観察する気分は最高だニャン!!

 そんなわけで、まずは年始の佛だのみ(?)ではなく、由緒正しき猫の常識として、歴史的伝統的な神社仏閣に敬意を表わし、曹洞宗高昌寺にお参りした。
 それにしても、涅槃佛のお顔は実に柔和でホッとするニャン。(下の涅槃佛の写真をクリックすると、ご納得されるだろう。)



 お寺を後にして、めざす八日市・護国町並みへと歩いていたら、ちょっと気をひく物件を発見。



 いよいよ八日市・護国町並みへ足を踏み入れた。まず最初に目にとまるのが、上芳賀家(写真/左・中・下)だ。内子町は江戸時代に木蝋で繁栄を極めた町であり、本芳賀(ほんはが)、上芳賀家を中心に20軒あまりの蝋屋の財力が町の経済を支えていたという。その販路は明治中期には国内は言うに及ばず、海外にまで拡大されていたという。その栄華を偲ぶ建物が随所に見られる。



 そんな中にも懐かしい昭和・大正の良き時代を伺うものも発見する。何だか時間がゆっくりと刻まれて、忙しい現代を忘れてしまう。



 少々歩き疲れて、とある汁粉屋さんに立ち寄ってみた。フムフム、懐かしい「にほひ」がするではないか。柱時計といい、照明の裸電球、障子にはまっているすりガラスといいい、実にホの字だニャン。



 内子町のもう一つの顔は、何と言ってもこの「内子座」だ。大正5年(1916年)に大正天皇即位を祝い建てられた歌舞伎劇場で、その後、時代の変遷で映画館や商工会館として使われてきた。
 1980年〜1990年代の全国的な傾向として、多くの行政や市民は、車社会に対応したまちづくりが地方都市や町を活性化させると信じていた。内子町も例外ではなかった。町の活性化のためには内子座を取り壊し、駐車場にとの町民の声が過半数を占めていた。
 ところが、当時の岡田文淑課長はそうは思わなかった。内子座を歌舞伎や文楽を演じる文化芸術拠点として復活させることが内子町を活性化させると考えた。そして昭和50年代から始まった内子町の歴史的環境保全運動の一環として、行政が民意を誘導しながら、昭和60年(1985年)に3年の歳月を費やし、現在の内子座を復元完成させたという。あっぱれ、というほかない。




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