とにかく地方の寺でありながら、このような巨大な鬼瓦(一つの大きさが畳十六畳といわれている)と大屋根をもつ寺も、全国広しといえども、そう多くはないだろう。

かつて、この寺は「昼寝寺」という愛称をもって親しまれていた。大屋根の軒下は陽光が遮断され、広縁に横になると優しい浜風が肌を撫で、ついつい眠りに誘われてしまう、という尾道市民の憩いの場であった。それがどういう訳だか、昼寝が禁止されてしまった。


そんな大屋根に雨が降ると、滝のような雨水が流れ落ちるのではないか、と吾輩は想像たくましくするのだが、未だその光景を見届けているわけではない。
まっ、想像するだけでも興味深い話だが、その流れ落ちる雨水を受け止める石槽が、これまた凄いのだ。「用水」という文字が彫り深く刻まれたこの石槽は、一枚岩をくり抜いたもので、昭和14年に石工職人・溝上民平衛によって作られしものと確認できる。


その石槽に雨水が溢れんばかりに溜まったら、「さぞかし重いだろうなぁ」とまたまた想像を巡らしながら、石槽を支える「天の邪鬼」に同情したのだが...。
それにしても八体の「天の邪鬼」の顔は、どれもこれも興味深く個性的だ。天保13年(1843年)からずーとこんな体勢でいると、たまには背筋を伸ばしたいだろうにと思うのは吾輩だけか...。





