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尾道の如雨露(じょうろ)

「看板を出さない」という老舗に珍しい社訓が.....。
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 尾道町のほぼ中心から北に延びる坂道がある。この道を吾輩たちは長江通りと呼んでいるが、かつては「いづも往来(街道)」とも「銀山街道」とも呼ばれた由緒正しき古道であったという。
 この長江町(通り)は1丁目から10丁目(およそ1km)まであったと聞いていたが、現在は3丁目までしかない。土地が縮んでしまったのか!?と言えばそうではないらしい。トボトボ歩いてみると昔と同じで、優に1kmはある。
 どうやら昭和37年(1962年)に施行された「住居表示に関する法律」で、便利主義が横行した結果、地理や歴史、文化をぶった切り、意味不明な区分表示が標準化された、その一例と推測されるのだ。

 大正9年1月、その長江町7丁目(現2丁目)に、内海芳平・福松親子が「内海製作所」というトタン、ブリキ製品の製造販売を創業した。製品はといえば、平板バケツ、ツルベ、水タゴ、洗い桶、昭和タライに尾道如雨露(じょろ又はじょうろ)(L型S型)であった。 *タゴとは担桶と書き、天秤棒で担いで運ぶ桶のこと。



 昭和4年には、現地の長江町8丁目(現3丁目)に移転。その年、実用新案製品である味噌スリ器を全国販売した。左下の「郵便はき」は、この頃作られたものらしい。
 とにかく全国販売というから勢いがあったのだろう。昭和14年、二代目福松は、尾道鉄工組合板金部門の理事となり、併せて朝鮮大邱(現在の韓国テーグ)に進出し、大きな看板を掲げた。しかしながら、開戦の影響もあってか2〜3年で撤退を余儀なくされたという。
 昭和40年、三代目一義は「内海製作所」を有限会社に改組し、代表取締役に就任。この年、外付けツルのバケツ(写真左中のハガキのイラストを参照)が一般的で、服を引っ掛けて裂くことがよくあったので、内側に向いた改良型ツルを製作し販売した。更に昭和50年には衣装缶、座布団缶にカラー模様を焼き付けたカラートタンを採用し製品化した。
 昭和60年、四代目隆司が代表取締役となり、平成2年に墓用花立「おもかげ」を、平成15年にはガルバリウム鋼板(アルミニュウムを含んだ亜鉛合金メッキ鉄板)を採用し「ホワイトBOX」を製造し、ネット販売を開始した。
 伝統を基軸としながら、つねに新たなものに取組むというチャレンジ精神が脈々と引き継がれる、これこそ老舗の哲学というところか。

 内海製作所には面白い「社訓」がある。「会社の看板は出さない」「内海製作所の製品が欲しい人は、探してでもやってくる。」である。吾輩が思うに朝鮮大邱の教訓もあって、「看板を出さなくても人が探し求める、そんな優れた製品を作れ」という戒めではないか。
 創業90年を迎えた四代目内海隆司は、今も新しい製品づくりにチャレンジしている。
 「新しい時代には新しい製品を!」である。芸術が経済を誘発する時代だ。左上の写真のような一点ものアートな尾道花器L型M型S型を製造販売し始めたのだ。
 そんな「内海製作所」ではあるが、長江通りを歩いていても看板が上がっていないので、どこにあるのかさっぱりわからない。
 そんなことが本当にあるのかい、と吾輩の話を疑うご仁のために、内緒でその証拠(会社の外観と使い込まれた道具類など)をお見せするとするか。



 *ブリキはオランダ語Blikからきたらしく、鉄板に錫をメッキしたもの。トタンはポルトガル語Tutanagaが語源で、鉄板に亜鉛をメッキしたもの。ブリキよりトタンの方が耐久性に優れている。

内海製作所
尾道市長江3丁目2-12
tel.0848-37-2302

尾道花器・尾道如雨露・バケツ、缶(BOX)のオーダーメイドのご注文は
info@bisan.co.jp
「尾道がんぼう宅急便宛」とお書きください。


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