尾道の祇園祭りは江戸時代に盛んになり、鉾巡行や三体神輿の渡御が行われた。そして昭和30年代まで、神輿の御旅所を西御所(祇園橋の東)に設け、生花展などの各種出し物、屋台が軒を連れね、その賑わいは一週間も続いていた。
喧嘩神輿の勇壮な三体廻しも、渡し場(土堂)、中央桟橋前、浄土寺下の三ケ所で行われ、三体廻しの後、神輿は海の中に放り込まれるという荒っぽいものであった。担ぎ手はお神酒を頂き、勢い余って喧嘩となり、神輿が潮に流されていくといった一コマもあったようだ。
そんな三体神輿が時代の変遷で昭和40年(1965年)には担ぎ手不足のため中断された。以降、勇壮な神輿は台車に載せられ、お年寄りにより曵かれることとなる。
厳島神社に合祀されている八坂神社は、もともと常称寺(時宗)の境内にあったという。その後、鞆の祇園社(沼名前神社)の神霊を勧請し祭礼を始めたという。明治維新になると神仏分離令で、八坂神社は現在の厳島神社に移された。
13年の中断の後、昭和53年(1978年)(社)尾道青年会議所のかけ声に、一宮(いっきゅう)神社青年部、久保コミュニティー青年部と尾道市職員有志が呼応し、祇園祭りの三体神輿は復活した。
現在の三体廻しは往年の荒々しさは無くなったが、それでも重量のある神輿を担いで、幟に向かって突進する勇壮さには多くの観客が拍手を送る。祇園祭りの三体神輿は、毎年7月の第3土曜日の夜、「水祭り」とともに尾道の夜を熱くする。








