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手打ち蕎麦「そば鴻」

写真家が心機一転、尾道に移り住み蕎麦屋を始めた...。
手打ち蕎麦「そば鴻」
手打ち蕎麦「そば鴻」
手打ち蕎麦「そば鴻」

 蕎麦屋という職人は、とかく芸術分野にも精通している人が多いようだ。(故)高瀬礼文さんは、『蕎麦博士』の異名を持っていたが、実は数学者でオルガニストにして骨董の目利き、彼の自宅はまるで小さな美術館だった。
 縁あって、高瀬先生には尾道に数度お越しいただき、蕎麦を打っていただいた。吾輩が意識して口にした初めての蕎麦が、その銀色に輝く先生の蕎麦であり、以来、蕎麦好きになってしまった。
 尾道はうどん屋や中華そば屋はあっても、手打ちの蕎麦屋はなかった。それがこの十年余りで「尾道ラーメン」といわれるご当地ラーメン屋が尾道の町中を席巻し、赤い幟旗を立てた。蕎麦屋は尾道では成り立たないのか?! 芸術文化都市を標榜する町にしてはちょっと寂しい気分であった。
 そんなとき、知り合いの陶芸家佐藤苔助氏から耳寄りな話を聞いた。何でも写真家が蕎麦屋を始めるという。

 『そば鴻(こう)』の店づくりに周辺の人たちは興味津々であったに違いない。店の外観は黒塗りの壁に錆びた鉄のスクラップで飾られている。大阪在住の空間造形作家・西村建三氏が造船のまち尾道をイメージし、デザインしたものだ。その重厚さに言われてみればなるほどと頷ける。
 フムフム、それでは店主はどんな人?と伺いたくなるのがは八っあん熊さんの世界である。店主の名は鴻上和雄さん、日本大学芸術学部写真学科を卒業した歴とした写真家である。
 30歳にしてフリーランスとなり、現在に至るまで以後33年間の活動を続けている。その間、奥さんの三恵さんの実家が福山であったこともあり、二人とも憧れの町であった尾道を再々訪れるようになる。
 尾道で蕎麦屋を始めるに至った経緯を聞けば聞くほど面白い。鴻上さんが倉敷を訪ねた帰り道、たまたま伊部の備前陶芸美術館が目に止まり、拝観することにした。そこでどういう訳かある作家の焼き物に惹かれ、何の手づるもないままその窯元を訊ねる決心をしたという。その作家が備前に窯を持つ尾道出身の陶芸作家・佐藤苔助氏であった。前触れもない出逢いであったが、二人は意気投合し、写真家と陶芸家としての付き合いが始まった。
 陶芸作家である佐藤氏は蕎麦打ちをして遠来の客をもてなす。一方、鴻上氏も以前から蕎麦打ちに興味をもっていた。鴻上さんの蕎麦打ち心に火がつくのも自然の成り行きだったのだろう。60歳にして立つ、である。『蕎麦屋をやろう、それも尾道で』と決心し、東京葛飾区にある江戸東京蕎麦の会に入会し腕を磨いた。
 それでは「尾道のどこで店を構えるか」と思案していて、たまたま四年くらい前に写真展を行なった長江口にある画廊茶席・中屋菓寮(中屋本舗)の社長に相談したところ、「うちの店が空いてるよ」の一言で決まってしまった。薬師堂通りに面した食べ物屋がどんどん集積している絶好の場所であり、鴻上さんがあとで気が付いたというあの有名な中華そば屋「朱華園」の真ん前であった。
 縁とは不思議なり、である。鴻上さん夫妻は尾道人になる覚悟をした。覚悟をしなければ、口の肥えた尾道の人に失礼だ。
 大阪在住の頃のご近所のよしみで、あの有名な『こんぶ土居』で昆布、かつおと隠し味の干しホタテ貝柱を仕入れる。江戸前のつゆは鰹に決まっているが、そこは大阪人の鴻上さん、『上方の味は昆布の味』も大切に生かす。 そして使われる器は言わずもがな、佐藤苔助氏とそのご息子の作品である。
2009年5月、尾道町待望の初の手打ち蕎麦屋が誕生した。



十四日元町3-34(TEL&FAX.0848-37-1313)Pなし
営業時間
11:30〜15:00、18:00〜20:30(夜は金・土に限る)
定休日/月曜日(不定休あり)


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