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林 丈二

(はやしじょうじ)イラストレ−タ−兼著述業

尾道ファン倶楽部・特別会員

『尾道はイイ所である。と言っても、僕は一度も尾道を歩いたことはない。ただ、赤瀬川さんが、「尾道はイイヨ、林さん」と言っていただけなのだが、赤瀬川さんが僕にわざわざ報告してくれたのだから、これはまちがいない。
赤瀬川さんによると、尾道は坂の街だそうだ。上り坂ではいつも半分のスピ−ドでしか歩けないから、その分だけ、物をよ−く見るチャンスが生まれる。とちゅうで息切れしたら立ち止まる。そんな時に普段気付かないようなものに気付くかもしれない。
坂の街は僕にいろいろなことを気付かせてくれる。だから尾道はイイ所に決まっている。』
(1990年 第3回グルメ・海の印象派−おのみち−より)


『坂のある街は身体の運動にもなるが、脳の運動にもなる。上がるときは少々うつむき加減で、地球の表面をより近く観察することになる。ある時は坂道を横断する蟻に気を配り、時々立ち止まり振り向けば、広い空が目にはいり、思わず鼻から深く息を吸う。
坂道を歩くとことは、その気になれば、いつでも地球と空(宇宙)を身近に意識できるということにもなる。
特に目玉のズ−ムレンズは、平地をズルズル歩くよりはずっとフレキシブルに使うチャンスが多い。接写、標準、広角、望遠、目玉のズ−ムレンズはその奥で脳味噌と連動している。つまり、坂のある街を歩くと脳味噌の働きもフレキシブルになる・・・と思うのだが、どうだろうか。
脳味噌がフレキシブルになるということは、同時に精神も解放されることにもつながる。そして身体にもいいのだから、坂の街は一種の温泉効果を有しているということにもなる。』
(1995年 シンポジウム「オノミチ・ヴェネツィア・パリ」より)

『「あれは尾道だったかな」と、こないだ真夏の長崎に行って、狭い坂道を上がったり下ったりしている時に思った。というより錯覚を覚えたといったほうがいいかも知れない。
海が迫った狭い坂道の街。よく猫に出会う。黙々と歩いていると、以前歩いたと同じような街の延長線上を歩いている錯覚に陥ることはよくあるのだ。
仕事がら日本各地を歩いていると、こうして自分のいる街を錯覚したり、時々自分が日本のどこを歩いているのかわからなくなったりすることだってある。 僕にとっては日本国内ではどこを歩いても、常に散歩の途中であり、場所は「その辺」という感覚になっている。
しかし、この「海・狭い坂道・猫」という条件の街は、僕の住んでいる東京練馬の近くにはないから、さすがにちょっと違う所に来たなと思う。
坂道を上がるのはしんどい。でも上がりたくなるような坂道というのもある。車の通らない狭い坂道。曲がりくねっていて、その先に何かありそうな坂道。上がりながら振り返ると、振り返るたびに景色がよくなっていくような坂道。坂の途中にノンビリした猫がいて、目があうと、仕方なくにしても「ニャオ」とあいさつをするようなヤツがいたりして・・・・
「確かこれと同じような光景が、あれは確か・・・」と、この先は文章の始めに戻る。』
  (1996年 第9回グルメ・海の印象派−おのみち−より)


林 丈二氏プロフィール
(イラストレ−タ−兼著述業)

1947年東京生まれ。
武蔵野美術大学卒業。小学校時代から調査マニアで、マンホ−ルの蓋、穴開きブロックのパタ−ンの調査、切符のパンチ屑、旅先での靴底に挟まった小石の採集ほか、どんな瑣末なことにも探究の視線を向け、丹念にデ−タにまとめあげる。また路上観察から発展して街歩きで出会った猫のエッセイを雑誌に執筆し評判となる。
最近では明治の新聞記事の中から、動物の珍事件などを収集・分析したり、外国の古絵葉書の収集にも意欲的に取り組んでいる。

<主な著書>

「マンホ−ルの蓋」(日本篇)(ヨ−ロッパ篇)「目玉の散歩ノ−ト」「街を転がる目玉のように」「路上探偵事務所」「イタリア歩けば」「フランス歩けば」「猫はどこ?」「ガラクタ道楽」「ブリュッセルの招き猫」ほか多数。



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