トップ > 030 まちづくりアーカイブ > 生き残った旧協和銀行

生き残った旧協和銀行

間一髪、ファサードの石材を辛うじて保存することができたが...。
生き残った旧協和銀行
生き残った旧協和銀行
生き残った旧協和銀行

1988年、「尾道じゅうにん委員会」のメンバーの一人が土堂海岸のとある寿司屋で昼食をとっているとき、建設会社の現場監督らしき人が来て、その店に挨拶をした。「2〜3日後から隣の建物を取り壊しますので、御迷惑をおかけしますが宜しく!」
 メンバーの彫刻家のTさんは、偶然その話を聞き、血相を変えて吾輩のところに連絡してきた。「大変です。旧協和銀行が取り壊されらしい!!」
 これは一大事とばかりに吾輩は、「尾道じゅうにん委員会」の尾道在住のメンバーと、運良く尾道に帰っていた建築家Oさんに連絡をつけ、その晩、拠点としていた味の店「輝」に緊急召集を掛けた。これはきっと旧協和銀行がわれわれに救いを求めているのだ。まさに運命的な出来事であった。
 メンバー全員とアドバイザー1名が「輝」に集まり、議論を重ねた。尾道にとって、旧協和銀行は失ってはならない歴史的資産だ。だが、我々には、その 建物を買収する力はなかった。尾道を発祥の地とするH銀行は、当時、全く歴史的建造物の付加価値を認識できず、更地にすることのみを考えていた。
 「客観的に云って、今、旧協和銀行は首の皮一枚で命を繋げている。」どう対応すべきだろうか、議論を重ねた。「われわれにできるのは、取り壊し現場に行き、座り込みをしてでも取り壊し工事を阻止すべきだ!」「残念ながら、建物の総てを守り抜くことはできないだろう」「一部の部材を保存し、命を継承する方法もあるのではないか」云々....。
 とにかく、現場に行ってみよう。ということで、夜も11時近く、全員現場に出向いた。そしてトタン板で囲まれた工事用フェンスの「立入り禁止」に片目をつむり、不法侵入を敢行した。
 懐中電灯に照らし出された建物の内部を調べた。やはり、この建物は尾道の歴史資産だ。ファサードは石造りで内部は木造という和洋折衷の明治時代の尾道を代表する建造物だと再認識した。
 翌日、吾輩とM設計士は難航するであろう話に、腹をくくってH銀行尾道支店に掛け合った。
 と、ところがである。話は簡単だった。「私どもは、解体工事の業者にすべてお任せしていますので、業者に相談してください。」との返答。旧協和銀行の建物に関して何の興味もないのである。
 すぐさま、解体を請け負っていた椛蝠組の先代の新宅社長に面談した。「あの建物は尾道にとって大変重要なものです。我々が保存の費用を負担するので、どうかファサードだけでも保存するよう解体を進めてほしい...」熱っぽく話したらしい。新宅社長は口を開いた。「私はよう判らんが、あんた等がそこまで云うからには大切なものなんじゃろう。解った!石材を保存しましょう。保存費用は要らんから。」
 夢のような回答であった。九死に一生を得るとはこのことだと我々は喜びを噛み締めた。旧協和銀行のファサードの石材は新宅社長の言葉通り保存され、現在もなお、大宝組の敷地に一角に確保されている。
 「尾道じゅうにん委員会」は、この石材を公共的な建物の一部に使って使い、歴史を生かしたまちづくりを進めてほしいと願って来たが、2006年の現在まで未だ行政は関心を示さない。
 我々は、保存している石材を昔の旧協和銀行のファサードそのままに再現するだけの資料は一応確保しているが、できればこの石材を使って、例えばガラスの壁にアバンギャルドに組み込むなど、全く新しい使い方をして未来に再生することも夢見ている。



バックリンク(9) 参照(7165)

路地ニャンシャーロック
会計レジを見る








メルマガ登録・解除


路地ニャン公の独り言
copyright bisansecession Powerd by