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【たんがしょうじ】という路地には興味深い歴史の謎が。

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丹花小路/TangaShojiAlley


丹花小路/TangaShojiAlley
ときは平安中期の頃、平将門が関東で朝廷に叛旗をひるがえし、瀬戸内海では同じく藤原純友が反乱(10世紀前半)を起こした。承平天慶の乱と呼ばれるこれらの反乱のうち、将門の乱は2ヶ月で平定されたが、純友の乱は2年という長きにわたった。この純友の乱に加担した海の豪族の中に「備後國には尾道六郎」という名が見られるという。この尾道六郎の館「丹花城」が、福善寺の城山墓地にあったという。(以上は、尾道の郷土史家・財間八郎著「尾道散策」(昭和52年5月25日発行・佐々木印刷出版部)に記載された文章を参照している。非常に興味深い「尾道六郎」だが、未だ実証されてはいないらしい...。)
今の城山墓地の南側は絶壁になっているが、これは山陽鉄道施設(明治24年)のために掘られたものだ。この絶壁に相対した所を丹花城に因んでか、「丹花」と呼んでいたようだ。そんなわけで、橋本小路から久保本通りを横切り、「丹花」を通り長江に抜ける最短距離のこの路地を「丹花小路」と呼ぶ。また昭和6年6月に発行された尾道市街圖誌によると、丹花小路は当時は丹花町と呼ばれていたらしい。
今も続く尾道の祭りに「祇園祭」がある。昭和2〜30年代までは一週間くらい続く大掛かりな祭りで、そのクライマックスは勇壮な喧嘩神輿の「三体廻し」だ。
この祭りにつきものが露店の「丹花飴」というものだ。「丹花飴」は、もろぶたいっぱいに入っている白い硬い飴で、ノミで割りながら売られていた。口いっぱいに大きな塊を入れると、最初は硬いが、舐めたり噛んでいると、だんだんと歯と歯茎にこびりつき始める。この飴になぜ「丹花」という名前がついたのか、二つの説があることをご紹介しよう。一つは、「丹花小路」には数件の飴屋があったという説、もう一つは丹花の絶壁のようにノミで割って売られるその形状から付けられたという説だ。どちらに信ぴょう性があるか、ご判断はお任せする。(2006年4月)丹花小路/TangaShojiAlley

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