尾道の路地裏には、予期せぬおもしろ物件が潜んでいる。久々に米場町から今蔵小路に足を踏み入れてみた。数年前まであったはずの右手の建物がなくなっていて、凹みの空き地に雑草が生えぬようシートが敷かれている中に樹木が一本。これを見て、「これはアート作品だよ、カッコいい!」と思ったのは吾輩だけか。一応、路地ニャン公の見立てとでもしておこう。
さらに尾道でよく見るトタン板と自然と時間(とき)のコラボ作品だ。赤瀬川原平さんが書かれた尾道を題材にされた文章のタイトル「潮風が風情を運ぶまち」が思い出される。(2019年3月)
半年前にはそんな過去を振り返って懐かしがっていたが、改めて吾輩見立ての現代アートがいかようになっているか、確認かたがた出かけてみた。そして、またまた、驚きの声が出てしまった。
何と木に葉っぱが溢れんばかり芽を出していて、見立てたものとは全然違った面持ちとなっているのだ。まるで洞窟の中で長い修行を終えた坊さんが、ボウボウの長髪で、ギョロ目玉と口が顎ひげと頬ひげに埋もれている姿を見て、唖然とした印象に似ている。生きたものをアートの素材にするリスクを忘れていた!! と思ったが、吾輩は作者ではなく、勝手にアートと見立てて楽しんでいるだけなので、手も足も出せない。冬の寒気来襲を待つとするか。
ガッカリして帰ろうかと思っていたら、何とかたわらに、これまた素晴らしいものを発見した! 苔むす庭園である。路地の右側にある吾輩が見立てた現代アートの反対側(吾輩のお尻側)に、幅にして100cmにも満たないほどの小さな空き地があって、その狭き空間に点々と石が配置されている。その石が苔むして、何とも言えぬ風情をかもし出しているのだ。自然が造った「秘境の苔むす坪庭」とでも命名しよう。(2019年10月26日)
さらに尾道でよく見るトタン板と自然と時間(とき)のコラボ作品だ。赤瀬川原平さんが書かれた尾道を題材にされた文章のタイトル「潮風が風情を運ぶまち」が思い出される。(2019年3月)
半年前にはそんな過去を振り返って懐かしがっていたが、改めて吾輩見立ての現代アートがいかようになっているか、確認かたがた出かけてみた。そして、またまた、驚きの声が出てしまった。
何と木に葉っぱが溢れんばかり芽を出していて、見立てたものとは全然違った面持ちとなっているのだ。まるで洞窟の中で長い修行を終えた坊さんが、ボウボウの長髪で、ギョロ目玉と口が顎ひげと頬ひげに埋もれている姿を見て、唖然とした印象に似ている。生きたものをアートの素材にするリスクを忘れていた!! と思ったが、吾輩は作者ではなく、勝手にアートと見立てて楽しんでいるだけなので、手も足も出せない。冬の寒気来襲を待つとするか。
ガッカリして帰ろうかと思っていたら、何とかたわらに、これまた素晴らしいものを発見した! 苔むす庭園である。路地の右側にある吾輩が見立てた現代アートの反対側(吾輩のお尻側)に、幅にして100cmにも満たないほどの小さな空き地があって、その狭き空間に点々と石が配置されている。その石が苔むして、何とも言えぬ風情をかもし出しているのだ。自然が造った「秘境の苔むす坪庭」とでも命名しよう。(2019年10月26日)