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12月の寒桜、2月下旬から3月初旬の大漁桜、3月下旬から4月初旬の染井吉野

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尾道の「桜」事情/CherryBlossoms


尾道の「桜」事情/CherryBlossoms

甲斐駒と清春の桜


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桜の名所は全国各所にあると思うが、桜といえば、千鳥ケ淵とか高遠や角館の桜、京都円山公園の桜や武川村の山高神代桜、そして何といっても清春白樺美術館の桜たちが鮮やかに吾輩の瞼に蘇る。春になってウロウロしていた吾輩の行動範囲の中で記憶に残る桜たちだ。
廃校となった清春小学校跡地を囲むように咲く染井吉野(ソメイヨシノ)が31本、この桜を愛でる批評家・小林秀雄(1902-1983)の強い勧めで、尾道市出身の吉井画廊会長であった吉井長三(1930-2016)が、志賀直哉や武者小路実篤ら白樺派の人たちが夢見て果たせなかった美術館をこの跡地に建設した。この清春白樺美術館の桜は、1925(大正14)年に小学校校舎落成の際、植樹されたものだという。
1990年に尾道で起こった「歴史的景観を守る会」の運動を強力に支援した著名人のひとり、吉井長三が運営する清春芸術村に、「守る会」のメンバーたちと初めて訪れたのが1993(平成5)年だった。
樹齢68年となる堂々たるソメイヨシノの大樹たちが、圧倒的な存在感のある甲斐駒ヶ岳を背後にして、澄み渡る景色の中に美しく溶け込んでいた。大地に深く根ざした黒ずんだその大樹は、太い幹から空に向かって枝を広げ、枝先にはまことに美しい花々を咲かせている。あれから2000(平成12)年までの毎年、7回にわたり清春芸術村詣でを行った。その情景は今になっても忘れられない。あの桜たちは、2021年の今年、樹齢96年を迎えたはずだ。
厳しい冬を耐え、清らかな空気と肥沃な大地、そして木々へ注ぐ愛情の豊かさが、これほどまでに樹木を成長させるのだ。吾輩はここ清春の桜を見ると、ふるさと尾道のソメイヨシノがなぜ見劣りするのか、わかった気がする。尾道の「桜」事情/CherryBlossoms

栗原川と西国寺の桜


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尾道で桜を愛でるには、多くの花見客で賑わう千光寺公園が有名だが、JR尾道駅から北西に徒歩で12分くらいの「なかた美術館」あたりから栗原川沿いを新尾道駅方面に北上すること1.3km余り続く桜並木(通称:桜土手)や西國寺の桜を吾輩はお奨めする。
栗原川の桜並木は、車が離合するにはちょっと狭い西岸の道路を散策したり、栗原川に架かっている橋から眺めると良いだろう。尾道の「桜」事情/CherryBlossoms

西國寺の桜は、仁王門から本堂にむかって長〜い石段をとろりとろりと時間をかけて上がって行くと良い。息せき切りながらも石段を登り、ときおり足を止め、振り返っては、尾道の町並みや尾道水道(海)、桜と仁王の居る山門の風景を楽しむことだ。そうすることで、ガクガク震える膝を押さえることもなく、石段を上り詰めると、衝動的にカメラを構えたくなる光景が観る者を魅了するだろう。正面に金堂、山の中腹に佇むベンガラ色の三重の塔など、花咲く桜の木々が伽藍をより一層美しく際立たせている。尾道の「桜」事情/CherryBlossoms

海辺の桜


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大漁桜


春うららと思ってシャッターを押した風景は、2021年3月8日の尾道商工会議所西にあるシーサイドに咲き誇る桜並木。2月から3月にかけて咲くこの桜は、尾道では珍しい品種で『大漁桜』だ。染井吉野より色濃いピンク色のこの桜は、桜鯛の色と漁の時期に因んで名付けられたそうで、原木は熱海市の網代漁業組合の網干場にあるそうだ。この『大漁桜』は潮風にも強いと聞いていたが、近づいて写真を撮ろうとスマホを構えたら、びゅーびゅー潮風が吹き始め枝が右に左、上に下にもて遊ばれ、狙い通りに写真が撮れず吾輩は大弱りだ。 この 『大漁桜』は、尾道出身のランドスケープアーキテクトの戸田芳樹さんが、一般的なソメイヨシノとは開花時期や種類も異なる桜を尾道で楽しめるようにと配慮したものだ。
それにしても『大漁桜』とは妙な名前で、どうしてそんな名が付いているのか調べてみたら、【花色が鯛の色に似ているのでこの名がつけらたといわれている。静岡県の熱海市で角田春彦という人物によって作出された品種で、早咲きの大島桜の種子を熱海市営農場で播種、育成した苗から選抜された。全ての花に旗弁があり、熱海市では2月中旬から開花するという潮風に強い品種。】だということだ。

ソメイヨシノの誕生


そういえば、ソメイヨシノという桜は、染井吉野と書き、江戸から少々北に外れた染井村(現在の東京都豊島区駒込・巣鴨付近)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって、江戸時代末期から明治時代の初期にかけて育成されたものと推測されている。この桜はエドヒガン(江戸彼岸)とオオシマザクラの雑種から生まれたものの一つを選び、接ぎ木で育成したクローンの桜だという。尾道の「桜」事情/CherryBlossoms
当時は大和の「吉野の桜」(吉野山のヤマザクラ)が有名で、そのブランドを利用して「吉野桜」と名付け、全国に広がった。しかし、吉野のヤマザクラは野生種で、花と同時に葉を出すが、「吉野桜」は花が終わって葉を出すという種の異なる桜だ。そのため両者を混同する可能性があることから、1900年に染井村の名を生かし「染井吉野」(ソメイヨシノ)と改名されたという。ヤマザクラとソメイヨシノを見分けるには色々方法があるらしいが、ここでは割愛する。
そんなことも全く初耳の吾輩は、猫であるから知らぬことを恥とも思わぬが、知っておれば桜を見る目も少しは違ってくるかも知れない。

西郷寺の桜

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ひとりでゆっくりと楽しみたい方にぴったりのお寺がある。尾道市立久保小学校に隣接する、時宗の寺・西郷寺境内に咲く桜は、その開花時期も美しいが、それ以上に楽しみなのは、舞いながら散りゆく花びらが境内一面を桜色に埋めつくす時期に訪れるのが最も美しいのではないだろうか。それには陰ながらの仕掛けがある。実はご住職の配慮で、桜の花びらが境内一面を覆い尽くす最後のときまで、境内の清掃を暫しお休みすることにしておられるのだ。これこそ一石二鳥というか、ウィンウィンの互恵関係ということか。
吾輩のPCにある動画を整理していたら、偶然 2019年4月11日撮影した西郷寺の桜を写した動画を見つけたので、お見せしよう。今はやりの『リモート花見』というところか。

冬空の寒桜


年末ともなると、尾道でも寒桜が咲くのを知っている人は少ないかも知れない。吾輩が知っていたのは二箇所だ。
ここで、わざわざ「知っていた」と書いたのは、二箇所に植えられていた寒桜は昨年を最後に残念ながら、 一箇所となってしまったのだ。
一つは、艮神社の東側にある日蓮宗の妙宣寺の境内で、2000年12月24日撮影したもの。このお寺で『真音 谷川賢作+土井啓輔』ピアノと尺八のコンアートを主催したときに、寒桜があることを知った。
あと一つは、吾輩の絶大なるスポンサーであり、吾輩の住処でもある(株)ビサン ゼセッションの真ん前にあった「藤半」だった。ところが、「藤半」は2020年に閉店した。その後、新たな宿泊施設「料亭小宿 おのみち帆聲」として、藤半の建物をリノベーションしている最中に、誤って寒桜を傷つけてしまったらしく、残念ながらその姿を消してしまった。

校庭に咲く桜


4月になると小学校の入学式、入学式は桜を連想するのは吾輩だけだろうか。1955(昭和30)年〜1965(昭和40)年代には、母親が和服(着物)を着てピカピカの一年生であるわが子と手と結び、小学校に登校する。彼らをいち早く迎えるのは、校庭で溢れんばかりの歓喜をもって無数の花を咲かせている桜の樹々だ。その情景は実に楽しく美しい。
吾輩の飼い主は、今はなき尾道市立筒湯小学校(1960年当時の写真)の出身者で、校門に至る石段に沿って咲きほこる桜たちや校庭を囲むように植えられた桜の樹々に咲く花の美しさ、風に吹かれ舞い落ちる花びらの情景を今も思い出せるという。『この学校は木造二階建てで、今残っていれば国の文化財になっていたはずだ』と嘆いていた。1964年吉永小百合主演の「うず潮」(監督:斎藤武市)にその当時の校舎が登場する。
一昨日、国道184号線の通称・桜土手を後にして、古木の桜はないものかと思いながら旧尾道町(江戸時代の尾道町)を車で走っていたら、尾道駅から千光寺道の踏切の間で、線路の北側の山手に2本、千光寺道踏切の線路と国道沿いの山側の歩道に挟まれた猫額の地に1本の桜の木を見つけた。
そして昨日は、新高山団地からくねくね道を山波方面に下っていて、小学校校庭に咲く桜をたまたま発見!!した。このくねくね道は日々走っている道なのだが、「桜」意識が薄ければ見えるはずのものが見えていないのがよくわかる。急いで車で駆け上がり、写真におさめた。この小学校は尾道の中心市街地の東端、浄土寺下から約2.4kmの東にある山波(さんば)小学校だ。

面白くない話


つれづれなるままに「桜」話を長々書き込んでしまったが、吾輩の飼い主がいつも吾輩に向かってブツブツ愚痴をこぼすことがある。 そんなときは、吾輩の耳は訓練の賜物で、不思議なことに聴こえなくなる。察するに、こんな話だろうと想像するばかりだ。
『歴史都市・尾道といわれてはいるが、どうして楠、銀杏といった樹形の美しい大樹や古木、公園に植えられそれなりに大きく育った桜までも、無計画に太い枝を無残にバッサリと切り落とすのか、吾輩は理解できない!ことわざにもあるだろう、『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』ってな。桜の枝の切り口を見ると心が痛むわ。そうではないか!植樹をするのであれば、先のことを考えて植えるべきではないか。だから将来像もない無策の都市計画しかできないといわれるのだ。』と憤懣やるかたない。
これは日本全体に言えることで、一般的に戦後の日本に都市計画はなかった、と猫である吾輩でも知っていることだ。それが尾道では今も続いているだけだ。
(2021年4月3日)
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