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歴史都市・尾道にふさわしい3台のピアノは、2020 年の今年で平均101歳を超えた!

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3台のピアノの尾道物語/ ThreePianos


3台のピアノの尾道物語/ ThreePianos

歴史ある尾道の3台のピアノ


歴史ある都市や町には、さまざまな興味ある物件に遭遇することがある。例えば、どこにでもあるピアノではあるけれど、そんじょそこらにはないピアノもあるのだ。そんなピアノが吾輩の知るところでは尾道に3台もある。
1台は1899年(明治32年)製スタインウエイ&サン社のもので、1台は1906年(明治39年)製のベヒシュタイン社のもの(トップ写真)、そして最後は1950年(昭和25年)製のディアパ−ソン社のものだ。3台のピアノの年齢を合計すると305歳。平均101歳を越している。

100歳を優に超えたスタインウエイ・ピアノ


3台のピアノの尾道物語/ ThreePianos
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尾道市立久保小学校といえば、1873年(明治6年)に『小学温柔舎』として曹洞宗天寧寺の中に創設されたもので、尾道ではもっとも古い由緒ある学校である。その後、明治30年(1897)に瑠璃(浄土寺)山麓西側の時宗西郷寺のそばに移転した。現在の校舎は、昭和8年製鉄筋コンクリ−ト3階建ての国登録有形文化財の資格がある貴重なものだ。
この学校には、もうひとつ知られざる日常遺産<ピアノの名器>がある。 Steinway & Sons NewYorkの1899年製(アメリカ ニューヨーク)だ。
この世に生まれ、98年という長〜い歳月が過ぎ去った1997年当時は、象牙作りの52鍵の白鍵は部分的に剥げ落ち、外観の痛みもひどく、火災を潜り抜けて今もなお生き続ける生命力には圧倒されたものだ。話によれば、このピアノは尾道ゆかりの軍人が軍艦に載せて尾道に運んで来たということだが、確証はない。
尾道の繁栄ぶりを物語るこの名器、ぜひとも修復し、ふたたび華麗な響きを奏でることを期待したいものだと吾輩の飼い主は密かに考えていた。
幸いにも吾輩の飼い主の思いが通じ、久保小学校のPTAが中心となって、このピアノを修復しようという動きが芽生えた。
この修復を300万円で手掛けたのが、大阪堺在住の山本宣夫さん(山本コレクション代表、フォルテピアノ修復家)だ。彼と吾輩の主人は1993〜4年からの付き合いで、山本氏はオーストリア国立ウィーン美術史博物館の専属フォルテピアノ修復師であり、吾輩の住む尾道の大ファンでもあった。
一年の歳月が流れた1998年10月、スタインウエイ・ピアノは美しい音色とキリッとした容姿で、再び久保小学校に帰ってきた。山本氏はこのスタインウエィピアノ修復に関して、その想いを文章を残している。

1906年生まれのベヒシュタイン・ピアノ


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広島県立尾道東高等学校のルーツを辿ると、1909年(明治42年)創立の尾道市立高等女学校に至る。小説家・林芙美子が学んだ学校としても有名で、校長室には彼女が描いた油絵「裸婦」が飾ってある。
1931年(昭和6年)、広島県立尾道高等女学校(県女)は創立20年を迎え、全国から当時のお金で6,000円の寄付金が集められた。その寄付金4,000円で当時としては最新設備を誇る講堂が建てられ、残りの2,000円で世界でも最高級品のベヒシュタイン社の1906年製(ドイツ ベルリン/製造番号57470)のフルコンサート・ピアノが備えられた。(当時の2,000円は民家が2軒も建つ貨幣価値があった。)
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購入時のベヒシュタイン日本代理店の帳簿には、同型のピアノは、日本に3台輸入されたと記録されている。1台は宮内庁、1台は内閣総理大臣官邸、そして最後の1台は広島県立尾道高等女学校である。当然のことながら、このピアノは県女の誇りであった。
戦後もしばらくは、東高校の名物であった。ある時は広島まで運ばれ、当時は珍しかった外国のピアニストの演奏に使われたという。下の写真は、昭和28年10月5日広島市東洋座において行われたソロモン氏の演奏会でのピアノで演奏している様子である。
ソロモンの演奏会写真の隣は、2019年初夏イリーナ・メジューエワ が初めてベヒシュタインに対面したときの写真である。そして同年の11月、尾道東高等学校創立110周年記念事業として、悪条件下の体育館ではあったが、イリーナ・メジューエワのピアノ演奏は全校生徒をはじめ多くの聴衆に感動を与えた。

しかし、年と共にこのピアノも忘れられていった。
その後、音楽準備室に設置されていたが、象牙の鍵盤は磨り減り黄ばんでいた。何回か移動したためであろう、脚は傷ついていた。蘇らせるためには多額の費用を必要とした。こうした優れた楽器は、単に音を出す道具と考えたくない気品がある。1990年(平成2年)創立80周年記念事業として、同窓会が寄付金600万円を募り、その資金でピアノを完全修復し、専用の格納庫を造ったという。(広島県立尾道東高等学校「80年のあゆみ」を参照)
このピアノ修復により、ベヒシュタインは、尾道東高等学校の「宝」として再び認識され、近年、毎年秋には校内で選抜された生徒数名により、ベヒシュタインを全校生徒の前で演奏するという学校行事として定着している。
唯一残念なことは、フォルテピアノ修復家の山本宣夫氏の鑑定で分かったことだが、修復部品の一部に当時の部品が使われず、ヤマハ製が使われており、骨董的価値がなくなったということだ。
だからといって、ピアノ自体の価値がなくなったわけではない。修復後のピアノ演奏では、演奏者の高い評価を受けている。このベヒシュタインを弾き、是非ともCDを制作したいというピアニスト上野 真(京都市立大学教授)の熱い思いにより、NPO法人おのみちアート・コミュニケーション(2007-2019)の協力を得て、2015年三原市芸術文化センターポポロでの収録が実現。2016年にCD上野 真『夜のガスパール』がリリースされ、同年7月号で「レコード芸術」特選版の栄誉を得た。

蘇った日本生まれのドイツのピアノ


向島洋らんセンタ−の展示棟は、当初はどこにでもあるガラス張りの温室として計画されていた。この計画を知った尾道出身の建築家・岡河 貢(当時広島大学助教授)氏は、ハウスを作るという当初予算の枠内でも文化ホ−ルとしても使用できる多目的空間を建設できることを提案。1994年、彼の設計によって向島の洋ランの展示施設でありながら、多目的文化ホールとしても使用できる施設が誕生した。
洋らんセンタ−代表の林原 透氏は、地域の文化活動を支援する意味から、ピアノを常設したいと考えたが、購入予算は70万円しかなかった。そこで、吾輩の主人が大の尾道ファンである山本宣夫氏(フォルテピアノ修復家)に相談したところ、実に興味ある回答が得られたのだ。
山本氏の工房には、大阪市の東梅田教会で長らくの間使用されていたピアノが保管されていた。ピアノは運搬中に脚が折れ、持ち主の意向で廃棄処分にされる運命にあったが、山本氏がその材質の良さから、倉庫に保管していたというのだ。
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このピアノは、1950年代に製作されたディアパ−ソン(日本 浜松/製造番号24590)で、山本氏は、提示された限られた予算で、コンサ−トにたえられるピアノとして蘇らせようと快諾したのだ。
山本氏はディアパ−ソンの中身(ハンマ−、フェルト、弦)を全く新しいドイツのレンナ−社の部品に取り替え、ピアノに二度目の新しい生命を吹き込んだのだ。
1997年12月26日、このピアノが堺市より運ばれてきた。新たに蘇ったこのピアノは、典型的なドイツピアノの美しい音色を奏でる。
思えば、向島洋ランセンターは、実に幸運な運命を歩んでいる。当センターの代表で林原 透氏が自らの夢を描き、「思う念力岩をも通す」で、ひとりで広島県農林水産課の扉を叩き、予算化させた。その結果、建設予定地も二転三転しながら、向島町は重い腰を上げざるを得なくなり、現在の場所に洋ランセンター建設計画が動き始めたのだ。
そんな折り、尾道出身の建築家・岡河 貢氏と同じく尾道出身のランドスケープ・アーキテクト・戸田良樹氏がボランティアでこの計画に参画した。ご両人は、当時、吾輩の飼い主も所属する任意のまちづくり団体・尾道じゅうにん委員会の特別会員でもあった。彼等の手により素晴らしい野外空間と多目的な展示棟が完成し、当センターは今や押しも押されぬ文化活動の拠点として、数多くのコンサ−トやイベントが開かれている。(2006年2月)

尾道にはさらに2台、ドイツ語圏製造のピアノがあった


あと2台、スタインウエイとベーゼンドルファーがあるのを忘れていた。尾道しまなみ交流館にあるスタインウェイ(製造番号544368)はドイツ・ハンブルグで作られたピアノで、もうひとつは生口島のベルカントホールにあるベーゼンドルファー(オーストリア ウィーン)。144,859人の人口規模の割には、由緒正しきちゃんとしたピアノがあるものだ。余談ではあるが、ベーゼンドルファーは2008年よりヤマハの子会社となった。(2013年10月現在)
14年前に路地ニャンの旧WEB SITEに書き込んだものを加筆修正して再び登場させた。ということは、吾輩は偶然にも7年毎にこのページを改定していることになる。しかし、たった十数年あまりの時間的経過は、世の中を一変させた。毎年起こる豪雨や大地震の自然災害、そして最大の人災である東日本大震災による東電福島原発事故、そして2020年7月6日現在、世界の感染者数1,140万人、死者数533,000人の新型コロナウィルス(COVID 19)。それでも、世界の国々は現在も利権を争い、貧困や飢餓を生み続けている。尾道市の人口も131,957人(令和2年6月30日現在/外国人を除く)で、7年間で実に12,902人の減少となっている。尾道は入り込み観光客が多いと浮かれているが、このペースでは2030年には人口10万人を切ることなり、尾道市の将来も財政的に危うくなる可能性が大きい。(2020年7月6日)
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