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日本遺産の都市尾道で、国登録有形文化財が解体された!

記憶の中の人や店や建造物/Inmemory > 山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation


山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

いつも変わらぬ日常風景


山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation
山陽本線の単線時代(大正以前の山波風景)

いつものように会社(路地ニャン公の棲家)のある尾道の中心市街地から東へ約2km、山波町に向けて車を走らせる国道2号線。この道がJR西日本の山陽本線に沿って出来たのは昭和のいつの頃だったのか。
小説家・林 芙美子(1903-1951)が尾道市立高等女学校(現広島県立尾道東高等学校)を卒業し、直後に上京したのが当時19歳の1922(大正11)年だったという。翌年の9月に起きた関東大震災を経て、芙美子はその後しばしば親友たちが居る懐かしい尾道へ帰っていたようだ。
芙美子を乗せた長旅の汽車が1925(大正14)年に複線となった山陽本線をひた走り、いつものように沼隈郡山波村(現在の尾道市山波町)に差し掛ると線路は大きく時計回りに曲がり始める。するとすぐ左手の海辺に尾道発電所と敷地内の煉瓦造りの建物(後に山波変電所)が見えてくる。汽車がこの発電所を通過し、キィーキィー音を立てながら大きく車体を傾けて曲がり終える次の瞬間、車窓いっぱいに拡がる川のような海(尾道水道)と尾道の町並みが目に飛び込んで来る。
芙美子は、彼女の代表作の一つ『放浪記』にその情景を描いてる。「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように、拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしてる。私は涙があふれていた。」
山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

*尾道発電所の全景は、中国電力がWEBSITEで公開している写真を掲載させていただいた。

国登録有形文化財に登録された煉瓦造りの「山波変電所」



尾道新聞の2022年2月26日付け記事に紹介された新尾道市史よると、「山波変電所は、煉瓦造りと鉄筋コンクリート造りの2階建てで、梁間(幅)11.9m、桁行(奥行き)31.7m、尾道水道に並行する長方形の建物」で、1923(大正12)年の関東大震災以降、全国的に煉瓦造りの建築物は鉄筋コンクリート造りに取って代わられ、「奇しくもこの年に竣工した山波変電所は、(尾道)市内に残る大規模な煉瓦(レンガ)造りの産業遺産としても貴重な存在」であると高く評価されている。「厚さ36cmのイギリス積み煉瓦の壁を地面から9m積み上げ、くすんだ赤煉瓦の色彩、目地の細やかさ、縦に細長い窓、側面の柱型の陰影などがそのまま美しさとなり、都市景観に欠かすことのできない近代化遺産」、さらに「上下二段の窓の中間に荒々しいドイツ壁の仕上げが見られ」「教会を思わせる外観と、なによりも現役で使用されている『生きた遺産』としての大型の文化財は、唯一無二の(尾道)市の宝よいってよい」と論評されている。
『山波変電所』は、2006年3月、国登録有形文化財に登録された。山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

ある日、突然、風景が変わった!


作家・林 芙美子が尾道へ帰る度に目にしていたと思われる煉瓦造り二階建ての建物は、1923(大正12)年に旧広島電気(株)尾道発電所の一施設として建設された。当時の尾道発電所は石炭を燃料とした火力発電所で備後地方の電力需要を支えていたようだ。
芙美子が1922年初めて上京したその翌年に、尾道発電所と煉瓦造りの建物が建てられたことから、彼女が東京から尾道に帰ってきたときには、記憶の中の風景になかった新しい煉瓦色の建物は、彼女の心に強い印象を残したのではないだろうか。
それから大正、昭和、平成、令和と永きにわたり山波町のランドマーク的存在として、日常風景に溶け込んでいたこの煉瓦づくり二階建ての『山波変電所』が、突然、2022(令和4)年2月中旬に複数の重機による無残な解体により、跡形もなく姿を消した。
山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

まさか日本遺産の都市 尾道市で、建設されて来年で100年を迎えようとする煉瓦造りの国登録有形文化財「山波変電所」が、2022年2月、突然、解体されたとは...。


山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

「山波変電所」の煉瓦の壁に嵌め込まれた文化庁交付の標識「この建造物は貴重な国民的財産です」は、尾道では虚しくみえる。

文化庁の登録有形文化財とは


文化庁のWEBSITEには、登録有形文化財(建造物)について、「我が国にとって歴史上,芸術上,学術上価値の高いもの」を総称して「有形文化財」と呼び、このうち建造物について国が指定する国宝・重要文化財(建造物)と国が登録する『登録有形文化財(建造物)』について紹介している。
この登録制度は、「近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたもの」で、「私たちの周りには、残していきたい風景」がたくさんあり、「身近な建造物であっても、地域に親しまれている建物や、 時代の特色をよく表わしたもの、再び造ることができないものは、貴重な文化財」で、「この文化財建造物を守り、地域の資産として活かすための制度」として<文化財登録制度>が平成8年に誕生したものであると明記している。
登録有形文化財建造物は、「50年を経過した歴史的建造物のうち、一定の評価を得たものを文化財として登録し、届出制という緩やかな規制を通じて保存が図られ、活用が促されおり、既に10,000件を超える建造物が登録されている」と説明している。またこの登録有形文化財建造物には、登録有形文化財建造物修理等補助(保存修理に係る設計・監理事業の補助/公開活用事業の補助)、相続税、固定資産税などの優遇処置を設けている。

尾道市での国登録有形文化財の現状


尾道市で「国登録有形文化財」として登録されているものは、2022年6月現在32件(山波変電所を除く)という。そのうち、所有者が民間である建造物は28件、尾道市が所有する建造物は6件だ。ちなみに尾道市所有の国登録有形文化財は、(1)久山田貯水池堰堤(2)長江浄水場着水井(3)長江浄水場緩速ろ過池(4)長江浄水場配水池(5)長江浄水場ベンチュリー上屋(6)旧高橋家住宅主屋(日比崎町)の6件に過ぎない。
尾道は平安末期の嘉応元年(1169)に備後国大田庄の倉敷地に公認されて以来、850年の歴史をもつ港町であり、戦火を免れてきた全国的にも稀有な歴史都市のひとつだ。その歴史都市である尾道にあって、不思議なことに近年になり明治、大正、昭和の歴史を代表する公共的な建造物が次々と姿を消していった。

近年で尾道が失った歴史的文化的建造物


ここ30年あまり前から現在まで遡ってみると、 山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

当代ではハイカラの尾道駅舎(1930年築)
(1)ファサードは石造りで内部は木造の和洋折衷の明治時代の建物 旧協和銀行、(2)土堂海岸の戦後のバラック建築、(3)バラック建築の海際に江戸時代からあった曲がり雁木(石段)、(4)リベット工法による鉄のトラスで組まれた県営上屋1号棟、(5)戦時中は捕虜収容所として使われた煉瓦造りの向島紡績、(6)日本建築学会中国支部の耐震改修での保存要請を無視し、解体された増田友也設計の尾道市庁舎と公会堂、(7)米場町角の海産物問屋M商店のレンガ築き三階建で最上階が蔵になった不思議な建物、(8)大正から昭和初期にかけ東京近郊で流行った洋館が千光寺山中腹に建ち並び、その風景と調和した、当代の活気ある「ハイカラ都市尾道」に相応しい温もりのあるお洒落な二代目尾道駅舎(昭和5年築)。写真の屋根はスレートだが、改築前は屋根瓦がフランス瓦だったという。(9)昨年まで千光寺山頂にあった佐藤武夫設計の円柱の展望台などだろうか。そのすべては、国登録有形文化財の登録資格は十分過ぎるほどの対象であっただろう。
山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation
佐藤武夫設計の円柱の展望台(1956年築)

将来の存在が危惧される尾道の建造物


そして、まだまだ将来の存在が危うい可能性のある建造物が尾道には多くある。(1)「住友本店」が1895(明治28)年尾道会議で銀行業開設を議決し、住友銀行神戸支店と共に住友尾道支店内に銀行を開業。その後、野口孫市設計といわれる1904(明治37)年新築された旧住友銀行尾道支店(現在、尾道市所有)、(2)1873(明治6)年の起源をもち昨年まで現役だった1933(昭和8)年築の鉄筋コンクリート製で3階建の尾道市立久保小学校、(3)久保小学校体育館にあるフォルテピアノ修復家・山本宣夫により修復された1899(明治6)年製のピアノ・スタインウェイ ニューヨーク、(4)1900(明治33)年の起源をもち昨年まで現役だった1936(昭和11)年築の鉄筋コンクリート製で林芙美子や大林宣彦の出身校の尾道市立土堂小学校、(5)林芙美子が卒業した尾道市立高等女学校が母体の広島県立尾道東高等学校の煉瓦塀、(6)江戸時代の豪商であった「灰屋」橋本家別邸のレンガ塀など、いずれも国登録有形文化財の資格は十分あるが、尾道市はなぜか届出を未だせず、登録を働きかけてもいないようだ。
住友銀行史誌に残る新築当時の尾道支店(1904年築)
築後に改修され、現在も米場町にある旧住友銀行

知っておきたいコンクリート建築の耐用年数

全国的にみて、行政が所有する建築物の大半がコンクリート建築である。そしてそのコンクリート建築が耐用年数となり、「安全」「安心」が確保されないと、スクラップ&ビルド(建物を解体し、新たに新築)を押し進めてきた。そのため、日本では多くの国民がコンクリート建築の寿命が耐用年数と信じているようである。これは大きな間違いで、イタリアでは何百年も経過したコンクリート建築が適切なメンテナンスによって多くのものが現存していることは周知の事実だ。
尾道出身の建築家岡河 貢氏によれば、「世間では耐用年数という言葉を建築の寿命のように考えておりますが、耐用年数とは税制上の年数のことです。減価償却との関係の年数でしかありません。建築物の寿命は、メンテナンス次第でいくらでも伸びます。
例えば、フランスの初期の鉄筋コンクリートのアパートで、パリにあるフランクリン街のアパートは1903年のもので、いまでも使っていますから117年たってこれからもメンテナンスして使うということです。ランシーにある教会は鉄筋コンクリートで1923年ですが、100年くらい経っていますが、教会ですのでメンテナンスしながらこれからも使い続けて行くということです。1951年の大蔵省主税局の長期のコンクリート建築の推定寿命は150年としています。
日本における現役の古いコンクリートビルは、三井物産横浜ビルで1911(明治44年)です。この建物は地上4階、地下1階の建物で関東大震災でも倒壊ぜず、いまも建っています。109年前の建物ですが、遠藤於菟という明治の建築家の設計です。現在KN日本大通りビルという名前になっていますが、今も建っています。ネットで調べると形も見ることができます。」という。
東京2020オリンピックでは、アスリートに愛されていた国立競技場が、耐震性に全く問題はないと分かっても解体され、巨額な資金を投じて新国立競技場を建てたことは記憶に新しい。

認定「日本遺産の都市」は、単なる商業的なブランド?!


山波変電所(旧尾道発電所) /sanbasubstation

国登録有形文化財であった「山波変電所」の所有者は中国電力ネットワークは、中国電力の100%子会社だ。そこで中国電力のWEBSITEを開いてみると、現在(2022年6月20日)もなお「歴史的電力遺産」として尾道発電所全景や煉瓦造りの「山波変電所」を紹介している。「山波変電所」を中国電力が国登録有形文化遺産として登録したことで、中国電力やその子会社である中電ネットワークの「山波変電所」の文化的価値を理解していなかったとは思えない。
一般的にみて、歴史都市を標榜する自治体であれば、「歴史を味方に、歴史を生かす」ことをまちづくりの基本に置く。そして都市景観の中で重要なファクターとして認識されるのが歴史的建造物であり、都市を取り巻く自然景観であることから、それらを保全するため、行政は市民や民間企業へ「歴史を生かすこと」の重要性を熱心に啓蒙する。さらに、その意味を市民や民間企業が五感で体感できるよう、行政が自らのもつ歴史的文化価値のある公共施設の修復保全あるいはリノベーションをリーダーシップをもって進めていく。
いわゆる歴史都市では、こうした地道な活動を積み重ね、民意的コンセンサスを獲得するのだが、これは言わずもがなか。
しかし、文化庁の「日本遺産の都市」にいち早く手を挙げた尾道ではあるが、現在までの動きを見ると、尾道市が「歴史都市」としての認識をもっているのかどうか、吾輩路地ニャン公には当然分からない。
文化庁が進めてきた日本遺産(Japan Heritage)の認定とは、「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として認定」、そして「ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ること」を目的としている。
確かに「日本遺産」の都市と認定されることで、商業的なブランド力として一定の役割は果たしているのかも知れないが、あらためて歴史的文化的価値を見極め、その価値を後世に伝えるための「歴史を生かす」都市づくりを始めている都市は、どのくらいあるのだろうか。
尾道の旧市街地は猫の額ほど狭い斜面地に、永い歴史とともに各時代の記憶が重層的に温存されてきた「まち」だった。そして尾道の魅力、それは何といっても尾道三山と海(尾道水道)と向島で構成された都市空間とその自然の美しさにある。そこには多くの歴史的文化的な価値のあるものが多く存在していた。願わくば、せめて現存するものだけでも遺産として後世に伝えられるよう祈るばかりだ。世の流行(はやり)で「猫」が売り物となった尾道ではあるが、「尾道は猫に小判だ」といわれぬよう早く覚醒したいものだ。
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