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この路地は表入口と奥の角あたりの表情がこんなに違うとは

路地/Roji > 昭和通り/ShowadoriAlley

昭和通り/ShowadoriAlley


昭和通り/ShowadoriAlley

「吾輩は道である。名前はまだない」という道が最近多くなった。


いつの頃から「道」に名前がなくなったのか。つらつら考えるに、それは1960年代以降の高度成長期にさかのぼるのではないだろうか。工業製品や生活必需品の大量生産、大量供給に大量消費の大号令で、国民一色バラ色で日本が表向きどんどん元気になっていった時代だ。都市計画という思想を持たず、山という山が削られ、住宅団地・工業団地が次々と造成され、街は無秩序に増殖し、海は臨海工業地帯として埋め立てられていった。「潤い」という言葉は忘れ去られ、がむしゃらにばく進し、自然を切り売りした高度成長期と言われた時代。切り売りだから、どんどん捨てればいい。どんどん捨てられるものに名前は要らない。「道」も同じで、単なる「機能」があればよいということだったのではないか。何でこんな話になったのか、と考えてみた。どうやら「昭和通り」という名前と、そこから連想させる時代の記憶が、吾輩を饒舌にさせたようだ。独りよがりな思い込みを長々書いて、大いに失敬!!。

「昭和通り」という名の由来


本題に戻るとしよう。果てさて、なぜ「昭和通り」という名前がこの通りに付いたのか。しかも普通車の車幅よりほんのちょっと広めの東西方向に平行な2本の路(みち)が、軽四の車幅くらいの南北に走る狭い路でコの字に繋がれている。この通りは、腕に自信があるドライバーだけしか抜けられないという意味で、世間でいう道路というよりは路地に近い通りとして吾輩は分類している。さらにこの南北に通じる路地は「昭和通り」を南に突き抜けて「新橋通り」と交わっている。昭和通り/ShowadoriAlley

また「昭和通り」の南側の東西に伸びる通りは、南北に通る路地と交わるところから突然細い路地となり、さらに東に向かって伸びている。
昭和通り/ShowadoriAlley
これまた余談ではあるが、この「昭和通り」は、吾輩の飼い主が自らの幼少期の多くの記憶を蘇らせる路地なのだ。いまでも笑い声や泣き声が聞こえてくるようだという。その記憶は土門拳が残した、尾道弁でいう、がんぼう(わんぱく小僧)たちの映像の世界だ。
この界隈は、防地川河口に面した東岸に広大な境内を有する通称「沖の道場」と呼ばれる時宗・海徳寺があった。ところが大正15年に大火にみまわれ、海徳寺は全焼してしまった。昭和元年頃に寺が瑠璃山(=浄土寺山)中腹に移転したことにより、道が作られ、民家が建てられた。「昭和通り」という名前の由来は、どうやらそのあたりにあるようだ。
この路地は、表入口と奥の角あたりの雰囲気がガラッと違う。車社会に辛うじて機能する路地と、車を拒絶する路地の違いか。それにしても、この路地界隈には数匹の猫族がうろちょろしていて、住みやすい環境にあるらしい。

思い出多い、昭和の風景


「1950〜1960年代には「新橋通り」で東西に走る北側の通り(備三タクシーベイとJTB代理業ビサン ゼセッションの間)には、右手に商人宿の勝手口、左手には質屋があり、同じく東西に走る南側の通り(備三タクシーベイとがんこ屋の間)には、左手に商人宿の正面玄関、その少し奥の右手には呑み屋があって、夏の昼間にはダルマ形の木枠にかき氷を半分くらい入れ、その上に一本の割ばしを真ん中に置き、その上にまたかき氷をギュギュと押し付け固めて、木枠から外して赤色や緑色など二、三種類のシロップをかけて子供たち売っていた。その隣がせんべい屋で、一、二軒おいてお好み焼きも焼いていた駄菓子屋(後に小鳥屋)があり、この二本の路を結ぶ南北の路地には桶を作る職人さんも住んでいた。」と吾輩の主人の思い出話が続く。

予想だにしなかった尾道町の内部崩壊!!


昭和通り/ShowadoriAlley
久し振りに「昭和通り」の写真を撮ろうと北側から南側の路地に足を踏み込み、衝撃を受けてしまった。記憶の中にあったはずの数軒の家屋が、知らぬ間に姿を消してしまっていた!!。東西に平行し走る二つの路地を繋ぐ路地から見ると、車道(川端通り)に面したがんこ屋の建物が1軒ぽつんと取り残されて、すべてが空き地となっているのだ。
あまりの衝撃に、吾輩の飼い主の心に大きな穴がポッカリ開いたという。肌で感じた尾道町の内部崩壊、それを目撃したショックだと語っていた。この「昭和通り」の30〜40m南には、東西に並行して「新橋通り」という通りがあるのだが、その通りにある和菓子の菊寿堂の裏口まで見渡せるように空き地が続いているところもある。
全国的にも都市計画のないまちづくりが行われ、郊外の団地に買い物弱者・買い物難民をつくり、中心市街地の空洞化が少子化に拍車をかけ、歴史ある小中学校の廃止や統合を余儀なくされ、遂には歴史とコミュニティの崩壊が始まっていくのだろう。日本遺産の都市・尾道も、行政のまちづくりのヴィジョンもないまま、確実に進む人口減少に歯止めがかからず、どんどん都市力を失っている。
(2020年1月7日)
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