国道2号線長江口交差点の西側にある「尾道ええもんや」と「電工社」の間を西に入ると鍛冶屋町(鍛冶屋小路)という路地がある。江戸時代には、この路地から現在の国道2号線とJR山陽本線を越えた山側にある艮神社の西に「中の段」と呼ぶ地があって、名刀工「其阿弥(ごあみ)」が住んでいたと伝えられている。今も艮神社の境内には、其阿弥を祀る金山彦神社がある。
尾道の鉄産業発祥の地といわれるこの路地の両側には、明治以降、錨や鍬を作る鍛冶屋が軒を連ねていたという。この路地を歩いていると、今も2軒ほど鍛冶屋の名残りをとどめる建物を見ることができる。そうは書いていたものの、いつの間にか、その2軒の建物は姿を消し、鍛冶屋町の名残りを完全に失っていた。
平成の時代になり、「江戸時代から続く路地や大正・昭和の情緒豊かな町並みを楽しもう」と町歩きをする日帰り観光客を迎え入れるため、皮肉なことに昔ながらの建物は解体され、路地の痕跡だけは残しながらも、駐車場ばかりがどんどん増えていく。そして尾道市は、何百年となくこの町が温存してきた本質的なものへの魅力を意識することもなく、目先のざわめきに翻弄され浮足だっているようだ。
尾道の鉄産業発祥の地といわれるこの路地の両側には、明治以降、錨や鍬を作る鍛冶屋が軒を連ねていたという。この路地を歩いていると、今も2軒ほど鍛冶屋の名残りをとどめる建物を見ることができる。そうは書いていたものの、いつの間にか、その2軒の建物は姿を消し、鍛冶屋町の名残りを完全に失っていた。
平成の時代になり、「江戸時代から続く路地や大正・昭和の情緒豊かな町並みを楽しもう」と町歩きをする日帰り観光客を迎え入れるため、皮肉なことに昔ながらの建物は解体され、路地の痕跡だけは残しながらも、駐車場ばかりがどんどん増えていく。そして尾道市は、何百年となくこの町が温存してきた本質的なものへの魅力を意識することもなく、目先のざわめきに翻弄され浮足だっているようだ。