動画も自動露出と思い込み
尾道町のド真ん中にあって、摩訶不思議な魅力をもつ気になる「名無しの路地」。この路地に出会った感動を読者に伝えることは、吾輩のもつ表現能力では到底望むべくもない。そこで、デジカメの動画で臨場感をと、雨上がりの合間にいそいそと撮影に出かけた。
ところが、である。吾輩の愛用するデジカメは、自動露出でいつでも変幻自在に機能すると信じていたのに、くねくねと曲がり、暗がりから明るい空間に、明るい空間からどんどん暗がりへと変化する環境に露出が自動対応できないことが、今分ったのだ。メカに弱いアナログ猫で、しかも電気音痴の吾輩だ。自動露出は写真だけで、動画は吾輩の目玉のように露出が変幻自在には対応しない。ごく当たり前の常識かも知れぬ。いやそれとも、何とか操作すれば、このデジカメも対応できる能力をもっているのか。マニュアルも読まず直感型の横着な性格の吾輩だから、正直面倒なことはやりたくないというのが本心である。
あの暗がりの狭い路地から、突如拡がる明るい空間に抜けた、その瞬間の感動は、このデジカメをもってしても、不可能だと分った。ガクッと手足も尻尾も力が抜けて垂れ下がってしまった。
ところが、である。吾輩の愛用するデジカメは、自動露出でいつでも変幻自在に機能すると信じていたのに、くねくねと曲がり、暗がりから明るい空間に、明るい空間からどんどん暗がりへと変化する環境に露出が自動対応できないことが、今分ったのだ。メカに弱いアナログ猫で、しかも電気音痴の吾輩だ。自動露出は写真だけで、動画は吾輩の目玉のように露出が変幻自在には対応しない。ごく当たり前の常識かも知れぬ。いやそれとも、何とか操作すれば、このデジカメも対応できる能力をもっているのか。マニュアルも読まず直感型の横着な性格の吾輩だから、正直面倒なことはやりたくないというのが本心である。
あの暗がりの狭い路地から、突如拡がる明るい空間に抜けた、その瞬間の感動は、このデジカメをもってしても、不可能だと分った。ガクッと手足も尻尾も力が抜けて垂れ下がってしまった。
「久保1丁目1番地1」の路地の中には、ぽっかりと広い空間が
3分あれば通り抜けるこの路地は、自動露出のデジカメならば一発で撮影可能な対象ではあるが、残念ながら、手持ちのデジカメでは小刻みに三分割して撮影せざるを得なかった。お後は、たくましいあなたの想像力におすがりする。とは言ったものの、結局、駄弁ではなく多弁の吾輩の悪い癖が顔を出し、引き続き路地探検の現場レポートを最初に戻って始めることにした。
杓屋小路の中間あたりに、東に向かって幅1mくらいの路地がある。路地の入り口には、「久保1丁目1番地1」という公的な住居表示が掲げてある。ちょっと見ると突き当たりか、どこかのお宅の裏庭に出るのかな、という感じの到底抜けれるとは思えない薄暗い路地だ。この路地をズンズン入っていくと驚いた!!
吾輩は由緒正しき尾道の路地ニャン公でありながら、今日までまったくこの路地の存在を知らなかったのだ。で緊張しながら、抜き足差し足分け入った。尾道にこんな路地があったのか?!ちょっぴり不安げに口ひげをピクピクさせながら、カクッ、カクッとクランク道を抜けて行くと、突然、予期せぬ広場に抜け出た。眼の前に大きな空間がぽっかりと広がったのだ。良〜く見ると、この広場には社があった。聴くところによると、檜田神社と白髭神社が合祀された神社で、このコンクリート舗装の広場は言うなれば神社の境内ということになる。この広場の東側に面した鉄骨三階建ての建物がこれまた凄い!建物の外部に露出してつけられた斜交いの鉄棒といい、何とも印象深い建築物だ。
杓屋小路の中間あたりに、東に向かって幅1mくらいの路地がある。路地の入り口には、「久保1丁目1番地1」という公的な住居表示が掲げてある。ちょっと見ると突き当たりか、どこかのお宅の裏庭に出るのかな、という感じの到底抜けれるとは思えない薄暗い路地だ。この路地をズンズン入っていくと驚いた!!
吾輩は由緒正しき尾道の路地ニャン公でありながら、今日までまったくこの路地の存在を知らなかったのだ。で緊張しながら、抜き足差し足分け入った。尾道にこんな路地があったのか?!ちょっぴり不安げに口ひげをピクピクさせながら、カクッ、カクッとクランク道を抜けて行くと、突然、予期せぬ広場に抜け出た。眼の前に大きな空間がぽっかりと広がったのだ。良〜く見ると、この広場には社があった。聴くところによると、檜田神社と白髭神社が合祀された神社で、このコンクリート舗装の広場は言うなれば神社の境内ということになる。この広場の東側に面した鉄骨三階建ての建物がこれまた凄い!建物の外部に露出してつけられた斜交いの鉄棒といい、何とも印象深い建築物だ。
ハッケン小路に繋がる路地の名は
広場の南(海)側には病院があり、その飼い犬が吾輩に向かって、けたたましく吠えている。ワン公って随分臆病なんだよねぇ。吾輩は、この広場でポッカリ抜けた空の青さをまだまだ楽しみたくはあったのだが、吠えるワン公は近所迷惑。仕方なく探険を続行し、路地をさらに進んだ。こんどは蔵と石段、古風な門構えの和風のお宅に抜け出た。このお屋敷は、なんだか由緒正しき商家の雰囲気を醸し出している。
さらに進むと、路地は南に向かって曲がり、その先に本通りが見えた!!この道は抜けられたのだ。この路地の本通り側の入口は吉中靴店で、何でもこの南北軸の路地を「ハッケン小路」というのだそうだ。「ハッケン」とは「八間」か「八軒」、ヒヤリングを試みたものの、知る人ぞなし。吾輩の優れた直感では「八間」ではなかろうか、と思うのだが....。
兎も角も、この叶い小路(杓屋小路)から「ハッケン小路」に通じる、この路地の名前を知る者はいない。確かに存在する路地なのだが、この路地を生活空間とするはずの住民も知らないのだ。何とも淋しいかぎりだ。この際、吾輩が名付け親になって「名無しの路地」とでも呼ぼうか。(2007年6月)
さらに進むと、路地は南に向かって曲がり、その先に本通りが見えた!!この道は抜けられたのだ。この路地の本通り側の入口は吉中靴店で、何でもこの南北軸の路地を「ハッケン小路」というのだそうだ。「ハッケン」とは「八間」か「八軒」、ヒヤリングを試みたものの、知る人ぞなし。吾輩の優れた直感では「八間」ではなかろうか、と思うのだが....。
兎も角も、この叶い小路(杓屋小路)から「ハッケン小路」に通じる、この路地の名前を知る者はいない。確かに存在する路地なのだが、この路地を生活空間とするはずの住民も知らないのだ。何とも淋しいかぎりだ。この際、吾輩が名付け親になって「名無しの路地」とでも呼ぼうか。(2007年6月)
その1)たまたま手に入れた学芸出版社の「路地からのまちづくり」に取り上げられた尾道−地域コンテンツによる「場所の力」の展開(東京工業大学 真野洋介)によると、1821年(文政4年)の尾道町絵図に「ハッケン小路」が「八間小路」と記載されていることが判明。吾輩の直感はやはり当たった。
その2)2017年11月、吾輩は崖から飛び降りる覚悟をもって、根っからのアナログで通したガラ系携帯から最先端のIphoneXに替えた。ところが、心配はどこえやらで、技術革新の先端は便利だねぇ。動画は自動露出が働いて明るいところから暗がりに入っても実にキレイに撮れる。10年前にこれがあったら、こんなに駄文を書く必要はなかったのに....。
残念!!
名無しの路地と八間小路もバーチャル散歩はできそうもない。やはり深みの味わいがある路地は尾道を訪れてもらうほかない。しかたがないので、八間小路の入口付近の本通りをご散歩くだされ。