福善寺、大山寺、そして映画「転校生」でお馴染みの御袖天神宮の石段に通じ、かつては道の西側に備後畳表の問屋が軒を連ねていた旧長江通りと国道2号線との交差点を旧ガードと呼んでいる。その交差点の南側には磯の弁天社があり、このあたりがかつては海であったことがうかがわれる。その先から金座街本通りを抜け小川小路を経由して米場町に至る、その本通りまでの短い小路を杓屋小路という。
この小路にはかつて木製の柄杓(ひしゃく)をつくる職人の家が多かったことから、この名前が付いた。別名「叶え小路」とも呼ばれ、弘法大師にまつわる伝説が伝えられている。文政年間の古地図ではカナイ(叶い)小路と記載されている。また昭和6年6月に発行された 尾道市街圖誌によると、叶小路は当時は叶町と呼ばれていたらしい。
この小路で最後の職人となった本庄さんは、柄杓のほか、神棚のお社や「田面船(たのもぶね)」も作っていたが廃業、今では「田面船」を作る技術が尾道シルバー人材センターの方に受け継がれている。
折角だから、この「田面船」のことを少しばかり紹介しよう。「田面船」は、柄杓職人が片手間に柄杓の材料である薄い板で作った「千石船」で、旧暦8月1日(八朔の日)に行われる「田面の節句」に使われる郷土玩具だ。田面とは「田の実」のことで豊作を祈る行事。初めて男の子が生まれた農家に出産祝に、親類縁者がこの「田面船」を贈る風習があった。商家でも港繁栄、商売繁盛を願い、「田面船」を得意先へ贈答用に使ったといわれ、尾道港に出入りした千石船を形取っている。
この「田面船」を乳児が寝ている部屋の天井に吊るし、成長し歩けるようになったら、船にしん粉細工でつくった人形を載せ、田んぼの畦道を船を引きながら神社に参詣したという。「田面船」はその大きさが60cm〜70cmほどあったようだが、近年、お土産用にと手のひらに載せられる小さなものも作られるようになった。
掲載している写真のうち、20年位前と思われる本通り金座街の賑わいを紹介しておこう。当時の尾道市民の日常生活の一コマだ。また本通りから山手に向って杓屋小路の同じ場所から撮った二枚の写真を比較すると、その違いがすぐわかるだろう。左手に多くの自転車が置いてあるのが1年くらい前の写真で、小路に自転車も人影もないのが最近(平成31年3月)のものだ。原因は、中心市街地の空洞化で、写真左手に写っているビルにあった老舗スーパー「鶴屋」の閉店だ。久保地区の高齢者たちは買い物難民となり、一段と中心市街地も住み難くなってしまった。
*お土産用の「田面船」は、尾道郵便局の東、土堂本通りにある「佐藤紙店」などにある。
*しん粉細工とは白米を臼で引いて粉でつくる細工物。昭和30年代の尾道では、飴を材料とした飴細工の職人が屋台を引き町を歩く。子供たちは、屋台を囲み、職人が温めた飴をハサミを使ってアッという間の手際良さで動物たちを作り、筆で彩る。その技を目の当たりにした子供たちの目は輝いていた。その一人が吾輩でもあった。
この小路にはかつて木製の柄杓(ひしゃく)をつくる職人の家が多かったことから、この名前が付いた。別名「叶え小路」とも呼ばれ、弘法大師にまつわる伝説が伝えられている。文政年間の古地図ではカナイ(叶い)小路と記載されている。また昭和6年6月に発行された 尾道市街圖誌によると、叶小路は当時は叶町と呼ばれていたらしい。
この小路で最後の職人となった本庄さんは、柄杓のほか、神棚のお社や「田面船(たのもぶね)」も作っていたが廃業、今では「田面船」を作る技術が尾道シルバー人材センターの方に受け継がれている。
折角だから、この「田面船」のことを少しばかり紹介しよう。「田面船」は、柄杓職人が片手間に柄杓の材料である薄い板で作った「千石船」で、旧暦8月1日(八朔の日)に行われる「田面の節句」に使われる郷土玩具だ。田面とは「田の実」のことで豊作を祈る行事。初めて男の子が生まれた農家に出産祝に、親類縁者がこの「田面船」を贈る風習があった。商家でも港繁栄、商売繁盛を願い、「田面船」を得意先へ贈答用に使ったといわれ、尾道港に出入りした千石船を形取っている。
この「田面船」を乳児が寝ている部屋の天井に吊るし、成長し歩けるようになったら、船にしん粉細工でつくった人形を載せ、田んぼの畦道を船を引きながら神社に参詣したという。「田面船」はその大きさが60cm〜70cmほどあったようだが、近年、お土産用にと手のひらに載せられる小さなものも作られるようになった。
掲載している写真のうち、20年位前と思われる本通り金座街の賑わいを紹介しておこう。当時の尾道市民の日常生活の一コマだ。また本通りから山手に向って杓屋小路の同じ場所から撮った二枚の写真を比較すると、その違いがすぐわかるだろう。左手に多くの自転車が置いてあるのが1年くらい前の写真で、小路に自転車も人影もないのが最近(平成31年3月)のものだ。原因は、中心市街地の空洞化で、写真左手に写っているビルにあった老舗スーパー「鶴屋」の閉店だ。久保地区の高齢者たちは買い物難民となり、一段と中心市街地も住み難くなってしまった。
*お土産用の「田面船」は、尾道郵便局の東、土堂本通りにある「佐藤紙店」などにある。
*しん粉細工とは白米を臼で引いて粉でつくる細工物。昭和30年代の尾道では、飴を材料とした飴細工の職人が屋台を引き町を歩く。子供たちは、屋台を囲み、職人が温めた飴をハサミを使ってアッという間の手際良さで動物たちを作り、筆で彩る。その技を目の当たりにした子供たちの目は輝いていた。その一人が吾輩でもあった。