緑青の大扉が似合う昭和の洋館
江戸時代の寛保元年(1741)、尾道町奉行・平山角左衛門が築調した住吉浜(通称を外浜という)のほぼ中央にちょっと気になる洋館がある。いつも大扉を閉めていたこの建物、なぜか吾輩には荻須高徳のパリ裏通りの絵を見ているようだった。
数年前まで、日曜日や祭日には閉ざされた緑青の大扉と笠のあるつきっぱなしの裸電球が何とも印象的で、吾輩は建物の前を通るたびに足を止めて眺めていた。
実はこの洋館は昭和5年の鉄筋コンクリート製の歴史的建造物で、塗源(ぬりげん)という屋号に「産海邊宮」という右から書かれた店舗名がはめ込まれている。そして店内には西日本で一番古い昭和初期の現役のエレベーターがある。ところが、数年前、老舗の宮邊海産は廃業してしまった。
「宮邊海産」の廃業、そして「周六」の開業
吾輩はこの洋館の将来を随分と危ぶんでいたが、昨年の2005年、幸運にも福山市でインテリア・デザインと注文家具を生産する会社が借り受け、一年以上の長〜い時間をかけ、この歴史的な建物の魅力を生かした店舗づくりにコツコツと取組まれている。予定では2006年(平成18年)6月末には開業ということだが、7月にずれ込む可能性が高そうだ。
写真でわかるように、新しく取り付けられた木製の扉や新店舗名「周六」の看板、建物正面に置かれた防火用水のコンクリ−ト製水槽など、この洋館の雰囲気にぴったりはまり込んでいる。
写真でわかるように、新しく取り付けられた木製の扉や新店舗名「周六」の看板、建物正面に置かれた防火用水のコンクリ−ト製水槽など、この洋館の雰囲気にぴったりはまり込んでいる。
実に贅沢な「私の空間」
喫茶店というような看板らしきものはなく、「オーダー家具」という看板だけが寡黙に立っている。「周六」という名前さえ見落としてしまうほど、謙虚なお店だ。ほとんどの通行人は、ここが珈琲に紅茶、昔ながらのラムネやオレンジジュースにグレープフルーツジュース、そしてビールも飲める店だとは気付かない。
そんな「周六」の店内に入ると、店主好みのさまざまな手作り家具やこだわりの品々が置かれた贅沢空間が迎えてくれる。吾輩は別に女王陛下の英国かぶれではないが、随分昔に映画で見た英国貴族の館にある書斎の雰囲気に憧れたものだ。その片鱗を少しばかりこの店で味わえる。
「周六」の高い天井に広々としたゆったり空間、さりげなく配置された数々のセンス良い雑誌や調度品など魅力もあったが、それ以上に魅力だったのが、一杯の珈琲や紅茶で、他者を意識することなく「私」だけの居心地良い空間を確保できる居場所があったことだ。
尾道には、他人様が所有されている信じられない贅沢空間が、珈琲や紅茶一杯で「私」のプライベート空間として楽しめることを知っている市民は少ない。その一つがなかた美術館とその庭園であり、尾道の日常に溶け込んでいる神社仏閣の境内であり、この「周六」の隠れ家的空間だと吾輩は思っている。
尾道には、実に贅沢な「私の空間」が市民に知られないまま、そこここにあるのだ。
「周六」の店内シーン
「宮邊海産」ビルの変遷
この歴史的建造物(昭和5年築)は、「宮邊海産」ビルとして約70数年間、外浜通りの象徴となっていたが廃業。その後は1〜2年という短期間の中華料理店を経て、小さなまちに珍しく洒落た店「周六」となったが、2009(平成21)年7月にやんごとなき事情により惜しまれながら閉店。次に牡蠣をメインとした居酒屋「かき左右衛門」が開店、現在に至っている。(2016年3月)
「経済を超える」尾道のお店
尾道には、かつて経済を超えて存在するお店がいくつかあった。その中で、いまだに現役の代表格は洋酒喫茶「ロダン貝の店」だろう。それらのお店は、独自の文化の薫りをもっていた。
久保本通りから水尾町の通りを海の方に下って行き、左側にある三叉路を左折すると「千日前」と呼ばれる東西に抜ける通りがある。この「千日前」という呼称は、最近ではあまり使われていないかも知れない。
「千日前」といえば大阪の「千日前」を思い浮かべる。尾道の「千日前」も、新開や新地の歓楽街のド真ん中にある仲之町や北之町の通りと直結していて、東西に50〜60mばかりの「千日前」の両側は、今から60〜70 年ばかり前には、尾道東宝・尾道東映・尾道日活・千日前松竹・ニュース館など4〜5軒あまりの映画館が所狭しと建ち並んでいたようだ。そんなところだから大都会・大阪の「千日前」にあやかった名をつけたのだろう。
当時の尾道には、娯楽の代表格であった映画館が、西の栗原川に架かる祇園橋あたりから東は暗渠となった防地川の川端通りまでの幅2.3kmの地域に8軒あったようだが、そのうち6軒が千日前を含めた半径200mの久保町地区に犇めいていた。今では、週末の土曜、日曜と祝日だけ、若者ばかりの観光客が尾道駅前から薬師堂通りの東西1キロの狭いエリアに群がるが、夕刻前には人通りはバタッと止まり、まちに人影は見られなくなる。政治家のA太郎が言っていた斜陽のまちの定義にピッタリはまる。活気ある尾道は、夢か幻か、何処へ?というところだ。
吾輩の悪い癖が出て、話は長くなったが、その千日前にあった「琥珀」という吾輩お気に入りの喫茶店のことがふと思い出されたのだ。記憶を辿れば、1970年代のこの店は、1階に5~6席のカウンターがあり、その奥の吹き抜けの部屋に入ると数組のテーブル席が設けられ、突き当たりには大きなスピーカーが二つドカッと設置され、天井高のある空間の北側に階段があり一部2階となっていた。2階には4組くらいか席があって、手摺側越しに一階を見下ろせるようになっていた。この喫茶「琥珀」では、その当時から生のフルーツジュースを出していて、トイレ・洗面所は大理石が貼られていた。
この店では、時折、音楽のライブもやっていたようで、NHKの人気番組「夢あい」の坂本スミ子や渡辺貞夫らのジャズライブもあったと聞く。そんなことで、音楽を愛する若者たちは、喫茶店「琥珀」に多大な影響を受け、ミュージシャンを目指したものも居たようだ。残念ながら、当時はデジカメもWEBSITEないアナログの世界で、未だ精神的に幼かった(?)吾輩は、店内写真も撮っていない。今となっては悔やまれるばかりだ。(2022年5月22日)
久保本通りから水尾町の通りを海の方に下って行き、左側にある三叉路を左折すると「千日前」と呼ばれる東西に抜ける通りがある。この「千日前」という呼称は、最近ではあまり使われていないかも知れない。
尾道にもある「千日前」
「千日前」といえば大阪の「千日前」を思い浮かべる。尾道の「千日前」も、新開や新地の歓楽街のド真ん中にある仲之町や北之町の通りと直結していて、東西に50〜60mばかりの「千日前」の両側は、今から60〜70 年ばかり前には、尾道東宝・尾道東映・尾道日活・千日前松竹・ニュース館など4〜5軒あまりの映画館が所狭しと建ち並んでいたようだ。そんなところだから大都会・大阪の「千日前」にあやかった名をつけたのだろう。
当時の尾道には、娯楽の代表格であった映画館が、西の栗原川に架かる祇園橋あたりから東は暗渠となった防地川の川端通りまでの幅2.3kmの地域に8軒あったようだが、そのうち6軒が千日前を含めた半径200mの久保町地区に犇めいていた。今では、週末の土曜、日曜と祝日だけ、若者ばかりの観光客が尾道駅前から薬師堂通りの東西1キロの狭いエリアに群がるが、夕刻前には人通りはバタッと止まり、まちに人影は見られなくなる。政治家のA太郎が言っていた斜陽のまちの定義にピッタリはまる。活気ある尾道は、夢か幻か、何処へ?というところだ。
記憶の中の喫茶店「琥珀」
吾輩の悪い癖が出て、話は長くなったが、その千日前にあった「琥珀」という吾輩お気に入りの喫茶店のことがふと思い出されたのだ。記憶を辿れば、1970年代のこの店は、1階に5~6席のカウンターがあり、その奥の吹き抜けの部屋に入ると数組のテーブル席が設けられ、突き当たりには大きなスピーカーが二つドカッと設置され、天井高のある空間の北側に階段があり一部2階となっていた。2階には4組くらいか席があって、手摺側越しに一階を見下ろせるようになっていた。この喫茶「琥珀」では、その当時から生のフルーツジュースを出していて、トイレ・洗面所は大理石が貼られていた。
この店では、時折、音楽のライブもやっていたようで、NHKの人気番組「夢あい」の坂本スミ子や渡辺貞夫らのジャズライブもあったと聞く。そんなことで、音楽を愛する若者たちは、喫茶店「琥珀」に多大な影響を受け、ミュージシャンを目指したものも居たようだ。残念ながら、当時はデジカメもWEBSITEないアナログの世界で、未だ精神的に幼かった(?)吾輩は、店内写真も撮っていない。今となっては悔やまれるばかりだ。(2022年5月22日)