桃源郷
中国の歴史もほとんど知らぬ吾輩だが、陶淵明(365-427)という名はどこか記憶の中に残っている。調べてみると、あの有名な李白と杜甫が生まれる300年もの前、魏晋南北朝時代(六朝期)の東晋末から南朝宋初にかけて名を残した詩人だとわかった。
陶淵明は、職を辞し故郷に帰り、酒と菊を愛し、自適の生活を送ったという。その陶淵明(とう えんめい)が描いた「桃花源記」に描かれている桃林に囲まれた平和で豊かな地、それは俗界を離れた別世界・仙境・理想郷(ユートピア)だ。その別天地を桃源郷(とうげんきょう)と言うようになったらしい。
酒と牡丹
例によって、前置きが長くなってしまったが、尾道のロープウェイ山麓駅から徒歩で西へ150mばかり、JR山陽本線のガードを潜り、山手にある石段を上がると曹洞宗の寺、天寧寺がある。
春うららの4月、吾輩は花に囲まれた天寧寺の境内に立ち、爽やかな風に吹かれていると、ふと『桃源郷』という言葉が脳裏に浮かんできた。それは、まさに陶淵明の描いた別天地、この地が尾道での桃源郷だと、吾輩に感じさせたせいだろう。
つらつら考えると、天寧寺の境内を桃源郷と感じた論拠のその一つ、4月初旬から5月初旬の天寧寺の境内は、言葉を忘れてしまうほど、実に美しいのだ。白木蓮、枝垂れ桜、牡丹と過ぎ行く時を追って咲き誇る境内の美しさには、ため息が出るばかりだ。カメラを構えると、甍(いらか)を超えて澄み切った天空の青さと背後には大宝山(千光寺山)の新緑、その中腹に聳える海雲塔やベンガラ色の千光寺が絶妙な風景を構成するのだ。
吾輩もいつかこの地で酒と牡丹を愛でながら、悠々自適、ぶらりぶらりの日常を夢見ているが、それはいつのことだろうか。もちろん、そのときは花に見惚れて転ぶことはあっても、漱石先生宅に棲む吾が祖先のように甕に落ちるへまだけはしたくない。
それにしても、どういう訳か、今年(2006年)の吾輩はバタバタしどうしで、残念ながら枝垂れ桜も見逃してしまった。次なる年の宿題としておこう。
皆既月食
というわけで、アレアレと思う間もなく15年が経ってしまった。無精がたたってこの有様。ようやくその気になり、吾輩が2006年から2008年までの3年間に撮り貯めしていた天寧寺の境内に咲く花たちに、晴れの舞台にお出ましいただくことにした。吾輩が密かに楽しんだ尾道の桃源郷に咲く花たち、心ゆくまでお楽しみいただきければ、幸甚である。
話はガラッと変わり、ここで桃源郷から宇宙に飛ぶことをご容赦願いたい。それというのも、今夜は2018年7月以来の約3年ぶりの皆既月食を拝めるらしい。それもただの皆既月食ではなく、月が最も地球に近づく満月で、いわゆるスーパームーンの皆既月食だというから尋常ではない。訳もわからず、天寧寺の牡丹が咲く4月あたりにスーパームーンの皆既月食が拝めないものか、と2030年まで調べてみたが可能性はゼロ。無理難題の欲ばりは、ほどほどにか。結局、今回は厚い雲で月がまったく見えぬという悲惨な結果となってしまった。(2021年5月26日)
無言・美
天寧寺に咲き誇る花1
天寧寺に咲き誇る花2
終わりに
吾輩が写した写真の中から、27枚の厳選スナップ写真をお披露目したが、あなたの一番お気に入りの花はどれだろうか?
さらにサービス旺盛な吾輩は、天寧寺の境内を歩きながら撮影した動画もお見せしようと、2007年撮影の動画を引っ張り出してはみたが、当時の画像解像度は極めて低い。近頃の見慣れた動画とは大違いで、過ぎ去った時代を感じさせる想いで驚いてしまった。
そんなわけで、この動画を観ることで、たった14年の歳月が驚異的な技術革新をもたらしていることが実感できるのも、また良しと考え、敢えてご覧に入れることにした。
さらにサービス旺盛な吾輩は、天寧寺の境内を歩きながら撮影した動画もお見せしようと、2007年撮影の動画を引っ張り出してはみたが、当時の画像解像度は極めて低い。近頃の見慣れた動画とは大違いで、過ぎ去った時代を感じさせる想いで驚いてしまった。
そんなわけで、この動画を観ることで、たった14年の歳月が驚異的な技術革新をもたらしていることが実感できるのも、また良しと考え、敢えてご覧に入れることにした。