「小山続きの塔二つ」という歌があったように記憶するが、これは「小屋根続きの家一軒」というところか。
尾道駅前から西に2〜300メートル通り過ぎ、ハツと目が釘付けになってしまった。瞬間、網膜に焼きつけられたというのが、真実かも知れない。あまりの美しさに心が動いたのだ!
何もクレオパトラか楊貴妃か、という世紀の美女に出くわしたわけではない。四季折々の変化を愛でる日本人の美意識、その一端に触れたのだ。それも、尾道の町中で...。丘のような三つの山と島に囲まれた尾道町で秋を彩る鮮やかな紅葉を見ることは稀だ。
この時期になると、バルト三国の一つ、エストニアの首都タリンにあるカドリオル公園で見た、あの美しい紅葉を再び見たいと思っていたのだが、尾道駅に近い町中の思わぬ場所で、憧れのその一部分を発見したのだ!
「廃墟の秋」と洒落ては見たが、緑から褐葉、黄葉、紅葉へと美しい秋色のグラディエーションを一面に見せるこの光景には、さすがの吾輩も唸ってしまった。『落葉の美しさ、それは落陽の美しさにも似て、やがては朽ち果て滅び行く美しさ...』だなんて、吾輩は詩人になった気分だ。(2006年11月11日)
あれから年を越し、9ケ月が過ぎてしまった。移ろう自然の美しさには、吾輩ぞっこん惚れ込んでしまうのだ。この廃墟の前を通るたびに、変化する色彩に心を打たれ、「シャッターチャンスだ」と思うのだが、いつもデジカメを忘れていた。そんな吾輩も6月の中旬、ついに瑞々しいまでの緑色した廃墟の蔦を撮ることができたのだが、迂闊にも今日まで写真を撮ったことさえ忘れていた。これぞまさしく、トホホのホだ。(2007年7月11日)
もう13年近くが経っているとは、信じられない。尾道のまちは今までとは違い、どんどん姿を変えている。かつて、吾輩の飼い主が夢多き若かりし頃の1995年に企画した『オノミチ・ヴェネツィア・パリ」ー世界にむけた尾道の都市戦略ーと題したシンポジウムを思い出す。パネリストは陣内秀信(建築史家)、林丈二(イラストレーター兼著述家)、松本徳彦(写真家)、宇野 求(建築家)、岡河 貢(建築家)という顔ぶれだった。尾道という歴史都市が持つベクトルを認識しながら、この都市のポテンシャルを探り、尾道が進むべき将来像を描きたいと思っていたのだという。このシンポジウムについては、詳細をこのWEB SITEに記憶するつもりだ。
2020年の今、尾道という歴史と文化のまちが、かつて彼らが夢見た都市像とは、まったく違った薄っぺらのどこにでもあるまちへと変貌しつつあることに、吾輩の飼い主は、愕然としているようだ。
いろんなご意見があるやも知れぬが、この尾道の廃墟ガーデンだけは、今も健在で、春夏秋冬、十数年という長きにわたり、吾輩の飼い主の心をときめかしているようだ。「国破れて山河あり 城春にして草木深し…」か。(2020年5月14日)
尾道駅前から西に2〜300メートル通り過ぎ、ハツと目が釘付けになってしまった。瞬間、網膜に焼きつけられたというのが、真実かも知れない。あまりの美しさに心が動いたのだ!
何もクレオパトラか楊貴妃か、という世紀の美女に出くわしたわけではない。四季折々の変化を愛でる日本人の美意識、その一端に触れたのだ。それも、尾道の町中で...。丘のような三つの山と島に囲まれた尾道町で秋を彩る鮮やかな紅葉を見ることは稀だ。
この時期になると、バルト三国の一つ、エストニアの首都タリンにあるカドリオル公園で見た、あの美しい紅葉を再び見たいと思っていたのだが、尾道駅に近い町中の思わぬ場所で、憧れのその一部分を発見したのだ!
「廃墟の秋」と洒落ては見たが、緑から褐葉、黄葉、紅葉へと美しい秋色のグラディエーションを一面に見せるこの光景には、さすがの吾輩も唸ってしまった。『落葉の美しさ、それは落陽の美しさにも似て、やがては朽ち果て滅び行く美しさ...』だなんて、吾輩は詩人になった気分だ。(2006年11月11日)
あれから年を越し、9ケ月が過ぎてしまった。移ろう自然の美しさには、吾輩ぞっこん惚れ込んでしまうのだ。この廃墟の前を通るたびに、変化する色彩に心を打たれ、「シャッターチャンスだ」と思うのだが、いつもデジカメを忘れていた。そんな吾輩も6月の中旬、ついに瑞々しいまでの緑色した廃墟の蔦を撮ることができたのだが、迂闊にも今日まで写真を撮ったことさえ忘れていた。これぞまさしく、トホホのホだ。(2007年7月11日)
もう13年近くが経っているとは、信じられない。尾道のまちは今までとは違い、どんどん姿を変えている。かつて、吾輩の飼い主が夢多き若かりし頃の1995年に企画した『オノミチ・ヴェネツィア・パリ」ー世界にむけた尾道の都市戦略ーと題したシンポジウムを思い出す。パネリストは陣内秀信(建築史家)、林丈二(イラストレーター兼著述家)、松本徳彦(写真家)、宇野 求(建築家)、岡河 貢(建築家)という顔ぶれだった。尾道という歴史都市が持つベクトルを認識しながら、この都市のポテンシャルを探り、尾道が進むべき将来像を描きたいと思っていたのだという。このシンポジウムについては、詳細をこのWEB SITEに記憶するつもりだ。
2020年の今、尾道という歴史と文化のまちが、かつて彼らが夢見た都市像とは、まったく違った薄っぺらのどこにでもあるまちへと変貌しつつあることに、吾輩の飼い主は、愕然としているようだ。
いろんなご意見があるやも知れぬが、この尾道の廃墟ガーデンだけは、今も健在で、春夏秋冬、十数年という長きにわたり、吾輩の飼い主の心をときめかしているようだ。「国破れて山河あり 城春にして草木深し…」か。(2020年5月14日)