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尾道まるごとアート化・ギャラリー化から景観運動へ

尾道まちのアート化/ArtTownPlanning


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尾道まるごとアート化・ギャラリー化


尾道まちのアート化/ArtTownPlanning
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吾輩・路地ニャン公が飼い主から聞いた話を思い出してみた。例によって長〜い話だったが...。
『そもそも、吾輩(飼い主)は三十代後半(1987年頃)から、尾道のまちの芸術(アート)化,文化化を夢ていた。アートに対して門外漢の吾輩がなぜそう思ったのか、それは金をかけなくても、色彩によりカタチの印象はガラッと変わり、デザインによりカタチが放つ魅力は驚くほど増幅するという魔術を知っていたからだろう。
1994年7月尾道のまちを『まるごとギャラリー化・アート化』することを仕掛けた。吾輩の同級生と知人である書家、染色家、画家たち、このイベントにボランティアで参加してくれた関東在住のアーティストたち、総勢22名の参加を得て、実験的試みが行われた。その中で、7人のアーティストは、彼らが感じるまま、個々のインスピレーションで、商店街のシャッターをキャンバスに見立て自由に風景を描いてもらった。』(このイベントについては、山陽日日新聞社の記事で後日報告する。)

尾道の景観運動で会社設立


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『その後、吾輩は日暮兵士郎氏が会長を務める「尾道の歴史的景観を守る会」に参加し、尾道の旧市街地に計画された高層マンション建設計画を阻止する活動を行った。1990年に始まったこの運動には、脚本家・高橋玄洋、映画監督・大林宣彦、グラフィックデザイナー・杉浦康平、吉井画廊の吉井長三ら各氏が絶大な支援をしてくださった。結果は、行政・市議会の支援はまったくない中、民間人有志の協力だけで「守る会」が建設用地を買収し、その用地に尾道白樺美術館(現在の尾道市立大学美術館)を建てた。
この景観運動が縁で、1992年吾輩は父に総合企画業と旅行業を柱とする子会社を設立したいという希望を伝えた。父の理解を取り付け、備三タクシー(株)の出資による新会社設立が決まり、新たな道を歩む決意をした。それが株式会社ビサン ゼセッション(BISAN SECESSION)だ。』

老朽化した社屋をアート化


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『弊社ビサン ゼセッションの建物は、備三タクシーの老朽化した旧本社屋で、一階が駐車場で二階が事務所となっている。当時は、備三タクシーの子会社ということもあり、旅行業を始める環境としては悪条件ではあったが、ある事情でどうしてもこの場所でなければならなかった。その事情とは、またいつか別のところで話すつもりだ。
吾輩は8月8日を開業の日と定め、翌年1月にJTB代理業を始めるまで、初めに総合企画デザイン部門を立ち上げ、商業デザインのスタッフ2名と共に2階の事務所空間を「SPACE SECESSION」(スペース ゼセッション)と名付け、ギャラリーとして尾道周辺のアーティストたちの発表の場とした。そして旅行業は夢を売る場所だからと、自己流を通し、ギャラリーの中にある旅行を扱う店をコンセプトに店内は観光ポスターではなく、絵画や彫刻などのアート作品を展示した。』

アートはどんどん広がる


尾道まちのアート化/ArtTownPlanning
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『外壁と店内の色彩を彫刻家だった高橋秀幸氏にすべてを委ねた。彼は、さらに一階の階段までのアプローチに鉄屑を溶接で組み合わせた龍を思わせる即興の作品を作り上げた。その龍は、吾輩には登り龍ではなく、下がり龍だなぁと感じさせたが... 、この鉄のオブジェも気に入っていた。
残るは一階の駐車場の白塗りのブロック塀だった。翌年の1993年に、二人のアーティストと一人の医者が感じるまま自由奔放にペンキの刷毛で塗りたくった。そのアーティストの一人は前年にSPACE SECESSIONで個展をした画家・高田三徳さんで、あと一人は彼の知人で広島在住の女性アーティストだった。医者はドイツ留学でウィーンのハプスブルグ家の末裔とも交友関係があるという尾道出身で岡山在住の精神科医松本順正さんだ。松本さんとの出会いがフォルテピアノ修復家・山本宣夫さんに繋がって行く。(この壁画と鉄のオブジェが翌年の『まちのアート化・ギャラリー化』のイベントに繋がって行った。)
尾道まちのアート化/ArtTownPlanning
吾輩が自らの意思と発想を生かして取り組んだものは、厚手の鉄板にエゴン・シーレが書いた文字『SECESSION』をそのままくり抜き一番目立つ柱に貼り付けること。あと一つは階段の入り口にある鉄製の門扉をデザインしたことだ。依頼先はコストをかけないように父のタクシー会社の整備工場の工員で、吾輩の願いを忠実に実現してくれた。』

歳月は流れ


『そして会社設立から29年というと歳月が流れ、社屋の外壁や看板などは強烈な西陽で色褪せたため、一度は外壁の全面塗装をしたが、またまたすべて色褪せてきた。一昨年まで創立当時の色彩を甦らそうと思っていたが、尾道市の景観条例でそれらの色を塗ることが禁止されている。おまけにCOVID-19の影響で、資金的手立てを講じることも不可能に近い。こんなご時世だからスパッと諦めることにした。
それにしても、「歴史的景観を守る運動」をした吾輩だが、低層構築物の色の彩度まで規制する今の条例には違和感を覚える。尾道の歴史地区で大切なことは建物の高さ制限だと思っている。』と、ここまで一気に話が進んでしまい、吾輩のスポンサーだけに口を挟むところも時間もなかった。
そんなわけで、吾輩は飼い主の許可も得ず、勝手にSPACE SECESSIONの第1回「村上 選」展の会場写真をお見せすることにした。
(2021年4月4日)
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