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中国の中にあるイスラム圏ウイグル地区、異文化の混在する中国は驚くほど広い。

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新疆ウイグル自治区と敦煌/Uighurs


新疆ウイグル自治区と敦煌/Uighurs

砂嵐

吾輩の飼い主は、中華人民共和国には過去に10回余り訪れているが、自ら企画した中国の旅のなかで、今だに記憶している二つの旅、一つが新疆ウイグル自治区のウルムチ、トルファンと敦煌ツアーで、あと一つは雲南省の麗江、昆明、石林ツアーだという。
2001年10月18日午前10時20分に中国西北航空JD237便で関西国際空港を飛び立ち、現地時間の13時15分に西安(シーアン)に到着。ここで15時25分の国内線WH2901便に乗り換え、烏魯木斉(ウルムチ)に到着したのが、日程表によると現地時間の午後6時50分頃だろうか。
空港から30分の宿泊ホテルにチェックインしたのは、午後8時を充分過ぎていただろう。関西空港から新疆ウイグル自治区のウルムチまで所要時間約10時間、やはり中国は広い。日本人には少し遅い時間帯のイスラム風夕食を終え、モンゴルに近い中国北西部のイスラム教文化圏ウルムチの第一日は、幕を下ろした。
このツアーの半年前の2001年3月16日に西安から敦煌に入る予定だったが、タクラマカン砂漠かゴビ砂漠のせいかは知らないが、砂嵐のため西安の空港で2〜3時間足止めされた。待てども待てども予定便は飛ばず、結局、欠航となり敦煌行きを諦めることとなり、西安だけで5泊6日滞在のツアーを余儀なくされてしまった。

5泊6日の西安観光

目玉の敦煌訪問ができなくなったことで、スルーガイド嬢の努力もあって、吾輩たちは一般の観光客では経験できない窯洞(ヤオトン)という横穴式住居の村を訪れたり、兵馬俑抗の中に入らせてもらったり、陝西省歴史博物館(だったと思うのだが)の大きな収蔵庫に特別に案内された。その収蔵庫には、大掛かりな電動式で格納さた数多くの巨大な国宝級の壁画が収まっており、その一つをわざわざ引き出し、吾輩たちはそれを目の当たりにするという幸運な体験もした。
西安での朝から夕刻までみっちり4日間にわたる観光の記憶は、断片的に吾輩の脳細胞のどこかの抽斗に大切に保管されているのだが、当時のデジカメで撮影した西安関連の写真の原盤が、今のところ見当たらない。
路地ニャン公のWEBSITEが今や三世代目となっており、自身のデータ管理が悪くて見つかる可能性は少ないかも知れぬ。見つけ次第レポートしたいと思っているが、残念ながら確約はできないのだ。
兎に角も、西安の空港で足止めをくらった長い時間の合間、スルーガイド嬢(残念ながらお名前を忘れた)と話をする中で、「敦煌へ行くには、砂嵐を避けるためにも春は外して、飛行機でウルムチまで入り、トルファンを経て鉄道で南下して敦煌に入るのも良いでしょう」ということになった。その話に興味をそそられ、それではと、再び同じスルーガイド嬢を指名して、7ケ月後の10月に実行したのが、このツアーであった。

ウルムチと天池

その結果が、訪れる季節を春から秋に変え、ルートを新疆ウイグル自治区経由の陸路に替えて、再度の敦煌チャレンジというわけだ。
今回の中国ツアーは、かつては天山山脈のオアシスといわれ、ウイグル語で「美しい牧場」という意味をもつ烏魯木斉(ウルムチ)から、天山山脈の東端にあって異国情緒漂う砂漠の中のオアシス、ウイグル語で「人と物が豊かな地域」を意味する吐魯番(トルファン)を経て、夜行列車で敦煌へ向かうというルートをとった。
このとき世界はアフガニスタン紛争の真只中で、イスラム圏へ入ることが懸念されていた時期だった。だが、実際には中国のこの地は世界の緊張とは無縁に、古のロマンを漂わせ、素晴らしく魅力的なところだった。
ウルムチ2日目となる翌朝、貸切バスで天池に向かった。道路沿いに点在するパオが、モンゴルに近いことを感じさせる。やがて鮮やかな黄色の風景が広がってきた。目を見張る美しい紅葉のポプラ並木だ。

天池(氷河湖)とボグダ峰

新疆ウイグル自治区と敦煌/Uighurs
この道を抜け、吾輩たちはやがて標高2,000mにある神秘の湖『天池(テンチ)』に到着した。この湖は氷河湖で、吾輩たちは寒さを堪えながらの湖上遊覧を楽しんだ。遠方には、天山山脈の東にある最高峰5445メートルの万年雪をたたえる主峰ボグダ峰が神々しいい。
それにしても、自らが撮した写真を見るにつけ、デジカメの性能と吾輩の腕の悪さが相まって、現実離れした自然の美しさとスケールの大きさをお伝えできないのがもどかしい。
それだけではなかった。吾輩のミスで、あろうことかこのツアーの画像の原盤を保存せず、WEBSITE用にダウンサイズしたデータを保存してしまったのが原因で、掲載した画像がことさら荒くなってしまった。さらに情けないことに、アナログ派の吾輩は、世紀の分かれ目あたりの数年間、すべての写真データの原盤をわざわざ捨て去り、加工済みのデータを保存している。これは無知の悲惨さというほかない。そんなわけで路地ニャン公の一世代目のWEBSITEに載せた記事を再編集した画像の画質が見苦しいことをここにお詫び申し上げる次第である。
それにしても、多くの少数民族が暮らすこの広大な自治区が20年後の2021年の今年、世界中で大きな問題となっている地域であることに、改めて驚きを禁じ得ない。
下の写真は、天地にあった公衆トイレの木製ドア。当時の中国のトイレ事情は地方では劣悪だったが、ここだけはあまりに立派で、おまけに何故か菊の御紋(?)を連想させる木彫がドアの中央に飾られ、思わずパチリ。次の写真は突如、道路にあふれた放牧羊にバスは立ち往生したのでパチリ。三つ目の写真は、ウルムチ二日目の夕食シシカバブを食した後に鑑賞した民族舞踊をパチリ。新疆ウイグル自治区と敦煌/Uighurs
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ウイグルの笑顔

ウルムチから92km離れた天池を観光後、再びウルムチ に帰り昼食を済ませ、トルファン(吐魯番)まで高速道で2時間15分。どこまでも続く直線の高速道路は新しく、吾輩たちのバスのほか高速道路を行き来する車両を見ることはめったとなかった。新疆ウイグル自治区と敦煌/Uighurs
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この約380kmの移動の記憶はほとんどないが、ゴビ砂漠の中に忽然と現れた風力発電の巨大風車の林立する風景が目に飛び込んできて、慌ててカメラを向けたのを覚えている。このころから中国は、改革開放の経済成長の基礎を着実に造り上げていたのだろうと、今になって思うところだ。
新疆ウイグル自治区と敦煌/Uighurs
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トルファンには、遠く天山山脈からのカレーズが流れる。カレーズとはペルシャ語で地下水を意味する。この町に住む人々はウイグル族で、手織りの絨毯や葡萄の産地として有名で、果物も豊かだ。トルファンに到着後、屈託のないウイグルの人たちの笑顔を見ながら町を観光し、夕食後にはウイグルの民族舞踊を鑑賞した。
レストランを出て、食後の散歩でスルーガイド嬢と共に夜のまちトルファンの屋台をパチリ、二日目の観光を終えた。

トルファン

翌日、再び専用バスに乗り、吐魯番盆地の西16kmにある、二つの川に挟まれた巨大な高台にある交河故城(こうがこじょう)を訪れた。

交河故城



この遺跡は、前漢時代の車師前国の都で屯田地として辺境防衛の重要地であった都市遺跡だという。風化した版築(地層のように異なった土が重なり出来た壁)の廃墟を歩く。いつの間にか、半世紀以上前に教えてもらったうろ覚えの杜甫の春望を口ずさんでいた。この故城入口のお土産屋さんで、サービスに頂いた冷えた西瓜が実に美味しかったのを思い出す。

高昌故城



このあたりから行程の順序を明確に記憶していないのだが、トルファン市内に帰り、カレーズ(地下水脈)を見学した後、昼食を摂り、トルファンから東へ40kmの西暦460年に高昌王国の都として築かれた高昌故城(こうしょうこじょう)の遺跡に向かったと思われる。628年頃には西遊記でお馴染みの玄奘三蔵も立ち寄ったと伝えられる故城は、一辺が約1.5kmの四方形で、土を固めて作った城壁に囲まれ、唐の時代には国際商業都市として栄えたという。記念写真に吾輩たちを載せて馬車を引いてくれたロバに感謝を込めてパチリ。それにしても、何故かこの故城には子供たちが大勢いて、カタコトの日本語でお土産を売っていた。

その後、高昌故城の北約2kmに位置するアスターナ古墳群でミイラを(吾輩はちらっと)見て、砂岩が侵食してできた赤い地肌の平均標高500メートル、長さ98キロメートル、幅9キロメートルという孫悟空ゆかりの壮大なスケールの火焔山(下の写真)のほんの一部を見学した後、トフファン駅に向かったと推測される。

火焔山



トルファンから日本の在来線の客車の1.5倍はありそうな大型車両の夜行列車の軟臥車(寝台車)で敦煌へ向かった。
何故、トルファン二日目の行程が明確でなかったと書いたのか、それは日程表に書き込んでいた観光スポットの順が「高昌故城、ロバに乗る、交河故城、アスターナ古墳、カレーズ、火焔山 夜行列車にて敦煌へ」となっており、この順にバスを走らせると東へ西へまた東へと右往左往の行程となるので、単純に疑問を感じたからだ。
以上、20年前に新疆ウイグル自治区を訪れたときに書き留めた文章と記憶の中の抽斗を探りながら、当時の雰囲気を伝えるべく加筆した。しかしながら、「新疆ウイグル自治区と敦煌」と書いたエントリー名ではあったが、見つからぬ敦煌の写真のせいにして、今回は「敦煌レポート」を外してしまった。ご容赦願いたい。(2021年7月18日加筆修正)

近くて遠い国

十年一昔(ひとむかし)というが、そのずっと昔の二昔(ふたむかし)前には、中国は近いお隣りの国という感覚があった。ところが、最近では近くても遠い国になってしまったと思うのは、吾輩だけではないだろう。
二昔前の中国は、沿岸部と内陸部の経済格差という大きな課題を抱えていたが、四千年ともいわれる長い歴史をもつこの国を、吾輩は尊敬に値する国だと思っていた。そして日本経済の「失われた30年」でもたもたしている合間に、中国は「改革開放」による社会主義的市場経済へ移行し著しい経済成長を遂げ、GDPはあっという間に世界第2位まで昇りつめた。その点においては一定の評価をするものの、改革派だった胡耀邦(フー・ヤオパン)元中国共産党中央委員会総書記の死が引き金となった1989年の天安門事件や直近の新疆ウイグル地区の少数民族や香港に対する対応を観ると、世界がようやく今の中国政府への不信感を募らせ始めたようである。
夢物語ではあるが、仮に、自らが属する中国共産党の過去の過ちを率直に認め、改革開放路線と自由化路線を進めた胡耀邦を歴史が味方していれば、今の中国とこれからの中国はどのように変わっていただろう。
吾輩のような飼い主に餌をもらう境遇に甘んじる家猫でも、今の中国は一党独裁による「政治的安定」だけが経済を発展させるという誤った確信をもち、文化の多様性や国民の政治参加を著しく拒絶し、強権をもって国民の自由を制限する、権力者にとって理想的な管理社会を実現することが国を治める正しい道だとに思っているように見えるのだが、どうだろうか。
どこの国でも見られることだが、為政者が政敵や権力を批判勢力を排除するため、あるいは自らの失政を隠すため、よく使う手法が民族意識を高揚し、国民の目を外に反らせるのである。そして専制政治を目指す為政者は自らの権力の長期化を図ろうとする。
人間様の世の中のことにはまったくの傍観者で、居眠りばかりする吾輩だが、鋭敏な耳が勝手にピクピク動いて、ラジオやTVの声、吾が飼い主の独り言が否応無く脳細胞に吸収されるので、ついつい講釈を垂れる悪い癖がついてしまった。

猫の言い分

「観光」という言葉の語源は、中国の四書五経の一つ「易経」の一文である「観国之光」だと言われている。吾輩の勝手な解釈ではあるが、「観光」とは「人々に愛され、信頼できる国だけがもつ光」を観ることだと思えば、今の中国を訪れてみたいと思う方向には、心はいささかも動かない。なぜなら、吾輩のような猫族にとっては、自由を奪われることは実に堪え難く、息を止めて生きろということと同じ話だ。
長くて二昔(20年)ぐらいしか生きれぬ吾輩たち猫族、特に家猫は、ただただ餌を貰える飼い主に少しばかり忠実であるほかないが、野良猫の中には、独立独歩、唯我独尊の輩もいるようだ。
かつての日本やドイツが歩んだ軍国主義や独裁主義の誤った過去を、二度と再びこの世の地球上で見たくもないが、専制主義的な政治体制により国民(人民)を統治する国家は、誤ったその道を進む可能性を孕んでいる。だからと言って自由主義の国々の多くにみられる資本主義のメカニズムが生み出す極端な貧富の格差は、如実に現代の資本主義制度の限界を露わにしている。しかし、この貧富の格差は、違った意味で専制国家にも見られるものだ。
ちなみに日本でも、厚生労働省が2018年(3年毎)に発表した日本の子供の相対的貧困率は13.5%、おおむね7人に1人だ。2019年に日本で広まったCOVID-19の感染拡大は、相対的貧困率をさらに高めているはずだ。この日本で貧困の連鎖は、果たして断ち切ることはできるのだろうか。
日本一の長期政権となり、自らの名前をつけて誇らしげに○○ミクスや毛利元就の三本の矢など派手なキャッチコピーだけは忘れず、何故か漢字も読めぬ首相と、権力に迎合するだけの議員や自浄能力を失った保守党を選んだ日本国民は、COVID-19の感染拡大により、自らの国がいかに世界に遅れをとっている国であったかという現実を明確に突きつけられた。
日本の、そして人類の叡智は、2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択されたSDGsの17の目標をどのように2030年までに達成するのか、大いに期待したいものだが...。
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