暖簾くぐりの夢
新開という尾道の歓楽街の中に大正時代に建てられたもらしい木造建築物がまだ結構残っている。その尾道的風情をもつ店の一つが、格子戸のある「村一番」だ。もともとこの家は、昔「置屋」だったという。「置屋」とは芸者や遊女などを抱えていて、求めに応じて茶屋・料亭などに差し向けることを業とする店のことだ。そんな建物をなぜか、元校長先生だった人が買い求められたというから面白い。
今から35年前の1986年だったと思うが、吾輩と川口協治ら尾道じゅうにん委員会の数名のメンバーで、この建物を見学に行ったことを覚えている。引き戸を開けて中に入るとすぐ土間があり、左手には造り付けの大きな下駄箱、正面奥にはこれまた大きな沓脱石と敷居と手作りの板ガラスが嵌め込まれた引き戸、それを開けると6畳くらいの畳部屋、右手には踏み石、上がり框(かまち)と畳敷の玄関となっていたと記憶している。
「こんな建物がまちづくりの拠点だったらいいなぁ」と話し合ったものだ。それは奈良の元興寺の奈良まちづくりセンターを見学し、刺激を受けて尾道に帰ってきて、間がなかったせいもかも知れない。「暖簾をくぐると、そこが我々の拠点!」と夢を広げていた。
もう一人の「自分」
ところが、いつの間にか、この建物を使って校長の娘さん夫婦で焼き鳥屋を始めた。これには文句が言えない。畳敷きの玄関は壊され、目の前で焼き上がる焼き鳥を眺められるようにL字型カウンターが設置されていた。初めてこの『村一番』にお客として訪れ、ガラリと様変わりした店内を見て、畳敷き玄関が気に入っていた吾輩は思わず、「勿体ない!」と呟いたのを忘れられない。鳥肉がどちらかと言えば苦手だった吾輩だが、内臓と皮を除いて、主に薩摩地鶏のメニューで美味しくいだだき、以後、吾輩の若かれし頃は、この店によく顔を出していた。
この店の紫色の暖簾をくぐり、引き戸を開けた途端、あなたはタイムスリップしてしまうことだろう。昔の面影をとどめたこの建物、客の居ない時間帯を見計らい、ご主人にねだって1階から2階まで探索させてもらうのもよい。アーティストたちが壁や襖などに、ここかしこ腕を振るって自らの痕跡をこの店に残している。
そしてグループでこの店に行くときは、1階の和室を予約することをおすすめする。この座敷きに入った瞬間、あなたは大正時代の「自分」を発見するだろう。今では珍しい手作りの板ガラス、どっしり構えた金庫に、風情のある床の間、障子戸越しに壺庭にある灯ろうを眺めながら、大正時代の日常を想像しながら一献美酒を交わすことができる信じがたい空間だ。
最後に一言。この店、創業は昭和最後の63年(1988年)、経営者夫婦はめっぽうお人好し。商売はもちろん下手だが、焼き鳥はうまい。(2021年5月13日)
久保2丁目16-7 TEL 0848-37-7274 Pなし
営業時間:18:00〜23:00(コロナ禍では変更あり) 定休日/日曜日・祝日