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尾道の魅力は何か、それは日常が非日常だと知ることだ

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遊び心の日常遺産/OnomichijinnoAsobigokoro


遊び心の日常遺産/OnomichijinnoAsobigokoro
歴史都市といわれるだけあって、尾道には鎌倉、室町から江戸期までの建築物をいたるところで見る事ができる。それだけに、その歴史を大切にするという基本的な考え方に思わぬ落とし穴があったのだ。ほんの数年前まで、尾道人の頭の中では、明治、大正、昭和の時代を価値ある歴史の対象と考えていなかった。その結果、この十数年の間に数多くの明治以降の歴史的建造物を惜し気もなく壊していった。
全国的な高度経済成長に取り残され、斜陽化する尾道に危機感をもち、ビル建設こそ成長の象徴だと思い込んだ人々が大勢いた。その中のひとり、「尾道は香港のようになれば良い」と尾道の旧市街地に展開された歴史的景観運動に否定的だった当時の尾道商工会議所副会頭・亀田良一氏が尾道市長に就任された。亀田市長は、三期(1995-2003)務める間に尾道駅前再開発を推進し、昭和の産業遺産であった県営上屋1号棟や江戸時代の曲がり雁木(海辺の石段)と戦後のバラック建築xxxを解体した。その後、全国的な潮流として「世界遺産」への注目が高まった。亀田市長は遅まきながら、歴史的都市景観と近代建築物の重要さを認識され、「雑巾掛けのまちづくり」を掲げ、世界遺産課を新設し、この尾道町を世界遺産にしたいと奔走されたが、産業遺産や歴史地区の景観は既に壊されたあとのことだ。
やがてその後継者と指名された教育長の平谷祐宏氏が新たな市長となり、今年は3期目の2015年となった。残念ながら、前市長の遺志とは真逆に歴史や文化に無頓着のようで、大正・昭和の建築物を解体しては時代遅れの箱物行政を進めているのは、ちょっと皮肉な話だ。歴史とは日常生活の延長線上のちょっとノスタルジックな過去で意味はなく、スクラップ&ビルドだけが尾道市民を豊かにすると本当に信じているようだ。
2018年尾道市では、日本建築学会中国支部が保存・活用を要望した増田友也設計の公会堂と市庁舎を壊し、南海トラフ大地震による高潮が想定されている海辺に、免震工法でしかも液状化することが分かっている敷地に、市民を守る防災拠点と位置付けて、現庁舎の1.7倍の巨大な新市庁舎を建設している。人口が激減する尾道市で、将来的にも減額が想定される地方交付税に組み込まれる合併特例債を助成金のようなものだと市民に説明した平谷市長の発言は極めて重い。
なが〜い歴史に育まれた奥深い本質的な魅力のあった尾道も、今やポピュリズムの流れにそって薄っぺらのまちになりつつあるようだ。それでもメディアが人を呼ぶのか、大勢の観光客がまちを歩き始めた。その光景をみて、「尾道は活気づいた。尾道は元気になった!」と喜んでいる市民も一部におられるようだが、中心市街地で空き家がどんどん増え続けているのを知っている吾輩は、用心深い猫族の性分もあって「果たして、これで尾道はよくなるのか?」と独り言。
かつては、ぼやき漫才というのが流行ったそうだが、尾道では今や「ぼやき」はもう時代遅れだ。ぼやきを通り越して、権力者に対して頭だけでなく、目や耳や口まで頬かむりを決め込んだのは、市民を代表するはずの大勢の市議会議員だ。
2019年4月、それに待ったをかけた若者たちが市議会議員候補者に名を連ねた。尾道市議会始まって以来の大激戦となることは間違いない。その結果はまだ分からぬが、これからは彼ら若者たちの活躍に期待したいものだ。そんな中にも、よき昔の尾道の痕跡を楽しもうと来られている人々のために、もっと前向きな話を進めるとしよう。
さて、さて、それでも尾道にはまだまだ残しておきたいものがある。尾道駅の北口を出て左に進むと、山側に二十数段の石段があり、その上に玄関らしき構えの屋敷がある。アワビの「片思い」とはよく云われることだが、石段の両側に建つコンクリートの柱と塀には、相思相愛のアワビの抜け殻が随所にはめ込まれている。ちょっとした尾道人の「遊び心」で、無機質のコンクリートもほんのりと色気がでるものだ。吾輩は「過ぎ去りし青春の石段」と名付けたいのだが、いかがなものか。この石段は、尾道駅の北口付近にあり、千光寺山の斜面を実にうまく利用して建てられた元旅館「松翠園」の玄関に至るもの。それにしても、この貝殻は何枚あるのだろうかと数えてみたくなる。
この石段を通り過ぎ、2〜3軒目に昭和の初期の鉄筋コンクリート4階建てと木造3階建ての妙にマッチングした建築物が目に止まる。洋館の内部はこれまた昭和の良き時代が生きているのだが...。尾道弁でいうミシチャランではなく、オシエチャランということにしておこう。
さらに先(西)に進むと右手に一歩通行の標識が確認できるはずだ。この三軒家の一方通行を車両ではなく徒歩で足早に4〜50m逆走し、右手の金光教を過ぎたところに山に向かうコンクリート製の石段がある。この石段を登ると、尾道の遊び心が足元で発見できる。
尾道町は芸術的だ。なぜ芸術的なのか、その実例がこの左官の仕事に見られるのだ。石段の淵にブロックを積み、その上にセメントを丁寧にコテで塗り付け、形を整え、実に個性的な自己表現をしているのだ。これはもう仕事(経済)を超えた代物だねぇ。実はいち早くこの溝の出来栄えを観て「尾道の町は、やはり芸術的だね」と教えてくださったのは、路上観察の達人・赤瀬川原平さんだ。この溝の上には、吾輩が名付けた「和製ガウディ」の建築物がある。
次に石段を下り、一方通行をさらに先へ。右手を見ていると古風な佇まいをみせる老舗酒造場「吉源(よしげん)」がある。先代のご主人が遊び心のある人だったようで、看板には面白い細工をされている。この酒造場の銘柄「寿齢(じゅれい)」の酒瓶が何本使われているのか、とまた考えるのは吾輩くらいか。
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