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暗渠になって、2006年12月、74年振りに顔を見せた防地川の石垣が

気になる風景/Kiininarufukei> 暗渠の防地川/Bouzigawaculvert

暗渠の防地川/Bouzigawaculvert


暗渠の防地川/Bouzigawaculvert

道路下の川


暗渠の防地川/Bouzigawaculvert
2006年12月、突然、目の前に74年前の防地川の石垣が現われた!!
橋本邸のコンクリート塀を倒したかと思っていたら、今度は道路が掘り返され、ついには話に聞いていた暗渠となっている防地川の石垣が姿を現わしたのだ。
防地線からJRの高架を潜って防地口交差点を渡り、宮野耳鼻咽喉科前の三叉路から右に折れて爽籟軒庭園に沿って道なりに海の方へ、「竹村家」と「かき船」がある海岸通りに交わるT字の三叉路のどん詰まりにある排水門まで続く道路、この下に川が流れていることを知っている尾道市民はもう少なくなった。その昔、台風に襲われたとき、この水門のポンプが大活躍していたのを覚えている。
(道路のカラー写真は2007年2月当時のもの。2021年5月現在では風景がガラリと変わった。写真に写っている道路の左側にあった漆原外科や山陽日日新聞社の建物は解体され、今は空き地になっている。)

川端と新橋

暗渠の防地川/Bouzigawaculvert
昔の地名には、それぞれの地理的特徴を意味するものが大半だった。ビサン ゼセッション(久保3丁目8-33)のある地域は「川端」といい、防地川が暗渠となる1934(昭和9)年以前には、このあたりは流れ行く川の水や吹く風に揺れる柳や桜並木に人力車、といった風情ある空間であったという。
今から30数年前までは、この地名に由来した「川端寮」という日立造船お抱えの料亭もこの道路沿いにあり、かつては芸者衆と三味線が奏でる音色が尾道の夜を華やかに染めていた良き時代であった。
暗渠の防地川/Bouzigawaculvert
防地川には大正時代には、四つの橋(ちょぼが橋、嬉志野橋、新橋、渡瀬橋)が架けられていたようで、川下にあたる現在の教育会館入口あたりにあった新橋が、1915 (大正4)年11月の大正天皇の御大典記念で木橋から石橋に造り替えられとされている。この新橋(石橋)の名残か、教育会館入り口から東へ、浄土寺下まで続く道を「新橋通り」と呼んでいる。
現在、新橋は、移築後に名を改めて浄土寺山(瑠璃山)に因んだ『瑠璃橋』として、浄土寺東の海龍寺前から続く瑠璃山道への入口へ移築されている。

大正・昭和の賑わい

暗渠の防地川/Bouzigawaculvert
暗渠の防地川/Bouzigawaculvert
1927(昭和2)、1928(昭和3)年当時の尾道の人口は3万人、そのうち、何と芸者は100人余りに娼妓は230人(昭和6年頃には260人余り)を数えたという。港町として栄えた尾道を物語る歴史の一コマだ。
1915(大正4)年に中國實業遊覧案内社吉田松太郎氏により出版された「尾道案内」の復刻版のコピーが手許にあるが、その中に当時の美しき芸者衆の写真と所属の「置屋」が掲載されているのでご紹介しよう。
写真には「尾道新地藝妓 偕楽舎券番」「 尾道遊郭藝妓  寳萊舎券番」と書かれている。 券番とは芸妓の取り次ぎや花代と呼ばれる芸妓の出演料の清算などを行う事務所のことを言うらしい。
この防地川の西側、巨大迷路のように無数の路地が走る新地、新開には、検番と50〜60軒の「置屋」(おきや)があり、歌舞音曲による遊びが繰り広げられ、何とも華やかな艶のあるまちだったと想像されるのだ。
70数年昔の過去から、突然、現われた防地川の石垣が、失われた尾道的風情を一瞬、吾輩の脳細胞に蘇らせてくれたのだ。

妄想

 「猫が行き交うまち」は人にも安全な住み良いまちと云われている。そして「尾道町」は猫に優しいまちと云われてきた。
ところが最近、半世紀近く昔の価値基準で作られた都市計画が、現実のデータと照合せず、そのまま実行に移されようとしているのだ。その都市計画は、車偏重のまちづくりが盛んであった時代のものだ。猫の額ほどの「尾道町」で、今では通行車両の少なくなった道の拡幅工事が進められ、どんどん路地も消滅し、空き地がそこかしこと増えている。
路地と違って、広い道路は猫にとっても高齢の人間様にとっても危険極まりない。落ち落ち渡ることもできないのだ。吾輩は猫である。猫にとって優しいまちづくりは、人にとっても快適なまちづくりだと考えることは、猫の糞臭を除けば 、おおよそ的外れではない。そこで、吾輩の大胆な猫的妄想のまちづくりをご披露するとしよう。
『この際、暗渠をやめて、あの石垣を生かして土手と柳や桜並木を復活させ、車両侵入お断りとし、移動は歩くか人力車、芸妓や仲居を育成して、尾道的風情を復活させるという提案はいかがであろうか。それとも産業遺構の石垣が見えるように、道路の一部をガラス張りにする、というところまで譲歩しようか。』(2007年2月、2021年5月15日 加筆修正)
   
  • 暗渠の防地川/Bouzigawaculvert
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