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現役100歳が目標だった小田原俊幸の散髪道とは....

小田原理容院/OdawaraBarberShop


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プロフェッショナル 小田原俊之


1992 年頃だったか、長年伸ばしていた髪をバッサリ切って、吾輩は丸坊主頭になった。丸坊主の散髪は、どこの散髪店でも同じと思いながら、2回目の散髪をどこでしようかと、尾道町を自転車に乗り彷徨っていた。そして尾道郵便局を東に過ぎたあたりで、偶然に「小田原理容院」が目に入った。「この店にでもするか」と心を決めて店内に入った。以来、吾輩はこの理容院に通っている。小田原理容院/OdawaraBarberShop

もちろん、それにはちゃんとした理由がある。「お客の顔形に合わせ、その人の品格を高めるように切らにゃぁ、床屋とは言えないよ。髪を切るというのは、これはもう芸術なんでさぁ」と小田原さん。大正11年生まれの現役バリバリのハサミさばきは驚きだ。 それもその筈、昭和26(1950)年の第4回全国理容技術選手権で 第7位の栄冠を手にした床屋のプロだ。昭和12年に理容業界に入ったというから、かれこれ70年を優に越える散髪一筋の超ベテランだ。そんな小田原さんに吾輩はハマってしまった。
ところで、ちょっと横道に逸れるのだが、理容院とは床屋であり、床屋は散髪屋であり理髪店でもある。どうしてこうも呼名が違うのか、吾輩には皆目わからない。だれかご存知の方はおられるだろうか。小田原理容院/OdawaraBarberShop
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小田原俊之の散髪道


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小田原さんのノートには、顧客の頭部の輪郭と髪型の設計図が描かれている。頭部の形状に合わせた理想の髪型を追求するというのが、彼のモットーだ。素人には簡単に思える丸刈りにも思わぬ技術がいるようだ。
丸刈りは、まず頭にチックを塗り始める。吾輩にとっては初めての経験で、少々疑問に感じ「どうしてチックを塗るのですか?」と尋ねると、「丸刈りをするときの常識でさぁ」と言われる。バリカンで髪を切りはじめると、その意味がわかった。切られた髪が固まりとなって、ポロポロポロポロと落ちてゆくのだ。「なるほど...。」仕事師はひとつひとつの動きにも、無駄なく合理的な工夫をするものだ。
次にハサミで全体を整髪する。このハサミ、びっくりするほど切れ味が良いのだ。未だかつて体験したことのない音で髪がスパッと切られていく...。
鏡の前のカウンターには、何丁ものYAMAYAのハサミと剃刀が置かれている。一人で使うには、ちょっと多いのでは、と思っていたら、小田原さんのハサミと剃刀のコレクションたるや、そんなものではない。数十丁のハサミ、百本近くの剃刀があるそうだ。
これらの道具を自ら研ぐ。研ぐ石も当然凝っている。今はもう手に入らぬという京都の本山の研ぎ石をこれまた十本くらいは所有しているという。本山には「たまご」「なし」といった石の色で識別される数種類のものがあり、研ぎ味がそれぞれ違うのだという。この本山の研ぎ石は刀を研ぐときに使うものだ。小田原さんは徹底した仕事師で、タバコも酒も飲まない。趣味はといえば散髪の道具道楽というべきか。84歳の今も元気に散髪道を極める。
そんな彼の技術に惚れ込んで、尾道に足を運ぶ常連は多い。広島、岡山、愛媛は云うに及ばず、最も遠くは、東京在住の鍵盤楽器奏者の武久源造さんで、尾道でチェンバロ・コンサート開催したとき、散髪に行きたいといわれるので、小田原理髪店に案内したところ、彼も吾輩と同じく小田原さんにハマってしまった。
そんなわけで余談になるが、その後の数年の間、武久源造さんも東京から尾道に散髪に来られては、夜には吾輩がとあるBARを貸切って、店のキャパに合わせた十数人のミニコンサートを主催した。源造さんは、カクテルを楽しみながら、JAZZの即興や金子みすゞの詩に彼が作曲した素晴らしく美しい曲をピアノ演奏した。ミニコンサートの最後の曲は、吾輩の希望もあり、いつもビリ―ホリデイ作詞、マル・ウオルドロン作曲『Left Alone』だった。

散髪道一直線


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小田原俊之さんが散髪一筋に生きてこられたエネルギーの源泉は、どうやら戦時中の体験にあるようだ。彼は特攻隊101山岡部隊の生き残りで、終戦により間一髪出撃が中止となって生き延びたのだという。その訓練たるや壮絶で、35kgの荷を背負い6kmを45分で歩く訓練や、1食にカンパン5枚で千葉館山から東京まで6日間の行軍などなど。だから、どんなことも乗り越えられると彼は云う。そんなわけで、まだまだ85歳の現役バリバリで散髪道を極めて行く。
そして、小田原さんにはもう一つ、頑張りの意欲をかきたてることがある。それはご近所にある眼科医院で、上には上があるもので、99歳今だ現役という眼科医師の存在だ。その大先輩が小田原さんに「当面は現役90歳が目標で、それから5年ごとに目標を立て、現役100歳を目標にするんだな」と元気づけてくれるそうだ。2007年6月、高橋眼科の大先生は100歳になった今年、現役を退かれたが、そのあとすぐに天寿を全うされた。

散髪の人間国宝


「演奏していても髪が崩れないんだよね。散髪に人間国宝があるとしたら、まさに小田原さんだよ。」とは音楽の天才・武久源造氏の言葉。平均3ケ月に1度は、東京から尾道にやってきて、長くなった髪を切ってもらう。そんなことが14〜5年間も続いているか。
とにかく、人一倍髪が多い武久源造さん。その髪型が一ヶ月経っても崩れない、のだそうだ。小田原さんはどんな技術でもって散髪をするのか。興味津々の吾輩は、今がチャンスとカメラを構え、その一端を記録することが吾輩のミッションと決め込んだ。
まず、多い髪をすくことから始る。特殊なギジョギジョの刃が付いたハサミで髪をすく。ジョギ、ジョギという音を立てながら、ハサミが髪を切っているらしい。「らしい」といういのも、普通、ハサミはジョキッと音がして、バサッと髪が下手へ落ちて行くものだけれど、ギジョギジョのハサミでは、ジョギジョギと音がしても、バサッと髪は下に落ちないのだ。ここで大切なのは、髪をすく場合は絶対に髪を濡らさないことだという。何故か。答えは簡単。髪が濡れると、ギジョギジョハサミで切った髪が、切らない髪に絡んでとれなくなるからだ。実際、濡らさない髪は櫛を入れると簡単にゴッソリとれて行く。
次に小田原さんのハサミは研ぎが違う。京都の本山の研ぎ石で入念に研いでいるから、切れ味がちがう。普通、武久源造さんのような太くて腰のある髪をまとめて切ろうとすると、髪が逃げてうまく切れない。ところが、小田原さんは自慢のハサミで一度にスパッと切るのだ。見ているだけでも実にスキッとする切れ味なのだ。
まだまだ解説しようかと思ったが、「技は見て盗め」だ。甘やかしては、腕の良い弟子は育たぬ。ここは心を鬼にして、吾輩の口にチャック、チャック!!

散髪道をひたすら70年の腕前


3週間と半振りに小田原散髪を訪ねた。例によって、にこやかに迎えて下さる小田原さんは、今年(2010年)の11月15日には88歳となる。
大正、昭和、平成の時代を生き抜き、散髪道一筋に今年でちょうど70周年を迎えるという。昭和24年には、小田原さん独自のリーゼントスタイルを世に発表し、多忙を極めた日々の記憶を昨日のように語る。
正確な記憶が止めどなく溢れ出る。戦争中のさまざまな話、多くの弟子を持ち、理容学校の講師も務め、大勢の客で睡眠時間も満足にとれず働き詰めたこと...等々。そんな小田原さんの当面の目標は散髪道75年、その次は80年でと、意欲満満々だ。
寝ても覚めても『散髪』という二文字しか頭にない小田原さんだが、書に凝り、硯に凝った時代もあったという。そして、今はもっぱら刀を研ぐ「本山」の石でハサミを研ぐ。そのハサミは音もなく、スパッと髪を切り落とす。
丸刈りでは、バリカンは両手で操るもの。「そのために両手で使えるように訓練したんでさぁ」といいながら小気味よく右手、左手と持ち替えながらバリカンを使いこなす。櫛とハサミで髪を切り揃えるその鮮やかさも流石だ。

その後


半年後の11月には88歳になるという小田原は、2010年5月23日の今日より、デフレ・スパイラルに陥りそうな日本経済の現状に合わせ、顧客の希望によっては「ひげ剃りなしのカットだけ」でもOKという低価格にも対応することになった。
2010年10月、小田原俊之さんの御子息から吾輩に電話があった。「父が倒れました。現在療養中です。もう復帰はできないでしょう。長い間、お世話になりました。」と。
2011年8月18日、小田原俊之さんは永眠された。享年88才。(数え年で言えば90才だ。) この情報は、吾輩が小田原さんが倒れて以降、通っている小田原さんの愛弟子の一人・岡田理容院(尾道市東久保町)で知ったものだ。小田原俊之さんに師事した弟子は総勢31名だったという。小田原俊之さんの記事は、旧WEBSITEに格納したまま、永らくそのままにしていた。以前から、早く新WEBサイトに載せ替えなければと思っていたが、COVID-19の影響もあって放置していた。ところが、数日前に路地ニャン公のWEBSITEのどなたかが、検索で小田原理容院を探されたようで、ようやく吾輩の背中に火がついて、この二日間で載せ替えと加筆をちょびっとしまして完成したという次第。
そして今も吾輩は、小田原さんから頂いたハサミを使って、毎日口ひげを整えておりますゾ。(2021年3月16日)
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