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無機質も尾道時間でゆっくりと熟成される

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尾道の日常遺産/OnomichinoNichijoisan


尾道の日常遺産/OnomichinoNichijoisan

晩寄りの手押し車


尾道の日常遺産/OnomichinoNichijoisan
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太閤秀吉御墨付きといわれ、尾道の生きた文化遺産といっていいほどの日常風景に、路上の「魚売り」が目に止まる。その歴史は太閤の朝鮮出兵にまで遡る「天下御免」の路上魚売りで、尾道人はこれを「晩寄り(ばんより)」と呼ぶ。「晩寄り」とは漁師が捕ってきた魚をその奥さんが手押し車に乗せ、売り歩く行商のこと。本来、晩御飯のおかずを買いに立ち寄るという意味で、そんな名前がついたといわれるが、現在は「晩寄り」も晩ではなく、午前中に店が開かれ、昼過ぎまでに店じまいするといった塩梅。
くどくど説明しすぎたが、その「晩寄り」の手押し車(トップ写真)が、押す人もいなくなったのか、風雨にさらされ、浄土寺下の海岸通りにぽつんと取り残されている。取り残されてはいるが、寂し気には見えない。吾輩には「ここは俺の場所だ」と言わんばかりに威風堂々と見えるのだが、それにしても最近(2019年)は随分と歳相応の色合いになってきたなぁ。尾道の日常風景が「非日常」、これが尾道の日常遺産だ。

マンホールの権威者が認めた新種のマンホール


尾道の日常遺産/OnomichinoNichijoisan
世界中のマンホールを研究した御仁がいる。かの有名な「路上観察学会」のメンバーでイラストレーター兼著述業の林丈二さんだ。林さんには尾道に確か三度お越し頂いたか。林さんが三度ということは、赤瀬川原平さんも尾道に四度お越しいただいたということだ。それほどお二人は仲が良い。
幸運にも、吾輩はこのお二人と尾道を徘徊し、見立ての達人たちの極意を目の当たりにした。以来、尾道が今まで以上に面白く見えてきた。面白いということは、見えないものが見えてくるということだ。無機質な「もの」が、吾輩に語りかけてくる。語りかけてくるので、「もの」は単なる「もの」ではなくなった。
このマンホールもその一つ。林さんによれば、これは初めてみる「形」だとか。尾道のとある路地にあったものだが、不思議なことに、マンホールの権威者の御墨付きとなると、これまた妙に気になるものだ。

これは猫道?! 獣道でもない。


尾道の日常遺産/OnomichinoNichijoisan
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それでは何だ?といわれると、もったいなくて即座には答えたくない。この道は千光寺山(大宝山)や西國寺山(愛宕山)では見かけるけれど、浄土寺山(瑠璃山)にはあまりない。さて、さて何だろうか。答えは「おのみちグルメマップ」(1992年版)に書いているのだが、もう手に入れることは不可能に近いだろう。「おせいちゃらん(=教えてやらない)」と云ってがんぼう(=いじわる)するのも楽しいが...。吾輩は由緒正しき猫である。猫の世界では、血筋が良いということは、清廉潔白、私利私欲には走らずという意味だと云われている。
そんなわけで、少々もったいない気もするが、お教えするとしよう。現代芸術家であり、作家の赤瀬川原平さんも感心したというこの道は、獣道ならぬ「バイク道」なのだ。山の上まで重い荷物を担いでいくには、ちと一苦労。どこにも智恵者がいるもので、「それならバイクで」と考えた人がいた!!モトクロスのバイクというわけには行かないが、何とかバイクで石段が登れるようにと、考案されたのが、このバイク道というわけだ。それにしても相当のテクニックが必要だ。
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