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日本的には文化財だが、尾道では日常遺産とも認めらず解体の危惧が……

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尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧/KuboPrimarySchool


尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧/KuboPrimarySchool

今も現役の久保小学校と土堂小学校は全国的にも貴重な存在


尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧/KuboPrimarySchool
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広島大学大学院工学研究院院工学研究科 助教 水田 丞の小論文「尾道市立久保小学校・土堂小学校校舎について」(2020年3月5日)によると、「尾道市立久保小学校、土堂小学校の校舎は尾道の歴史文化を示す遺産、戦前の鉄筋コンクリート造小学校校舎の好例、そして地方都市の近代建築として、価値の高い建物といえる。」また「尾道市の中心部にあって現役の久保小学校、土堂小学校の校舎は全国的にみても貴重な存在である。」こと、さらに両者の学術的価値や鉄筋コンクリート造小学校校舎の保存整備と耐震補強に関する事例や方法、また吾輩の持論である尾道のまちづくりなど拙文は、既述の土堂小学校のページに詳しく紹介している。この久保小学校も今の尾道市は、学校統廃合を行うと同時に安全性を確保するという便利な言葉で、どうやら解体を計画しているようだ。
ここでは、水田 丞助教の「久保小学校の概要」についてご紹介する。

久保小学校の概要


尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧/KuboPrimarySchool
『尾道市立久保小学校は、尾道の中心市街地の東側に所在する。東隣に西郷寺があり、体育館へはこの西郷寺の参道の下をくぐって往来できるようにしている。久保小学校の敷地も西郷寺が所有する土地だったのかもしれない。
久保小学校は、明治6年(1873)に土堂町の天寧寺に置かれた小学温柔舎を起源にもつ。後に尾道尋常小学校となり、明治30年(1897)に現在の場所に校舎を新築移転する。その時の校舎は木造二階建ての建物だった。大正9年(1920)には久保尋常高等小学校と改称し、昭和8年に現在残る鉄筋コンクリート造の校舎を完成させている。当時の在校生の想い出によると、完成した当時は広島県一の校舎として評判だったという。(『創立百周年記念誌』尾道市立久保小学校,1973年)
久保小学校の校舎は、鉄筋コンクリート造三階建て、屋根は陸屋根とする。北側と西側から校庭を囲むように校舎をL型にした構成をとる。北東隅と南西隅、そしてL型の入隅の部分の3か所に出入り口と階段を置き、北東隅と南西隅は塔屋状にする。縦長の窓を3つづつ等間隔に並べ(北東隅は2つづつ)、外壁に柱型をつける。外壁の上部はへこませて、正面から見た時にアーチ状になるように段をつける。外観は全体的に柱型によって垂直線を強調し、アールデコを思わせる立面構成に仕上げたものである。内部は、L型平面の北側部分は北側に廊下を通し、南側に教室を並べ、L型平面の西側部分は東側に廊下を並べ、西側に教室を並べる。教室の大きさは梁間方向に7m、桁行方向に9.1m、廊下の幅を2.1mで統一されている。
設計は尾道市土木課の営繕技師である前田清二が中心になったとされる。(川島智生「尾道市における歴史的小学校校舎の建築史学」『文教施設』29号,2008年)』尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧/KuboPrimarySchool

知られざるもう一つの日常遺産


尾道の日常遺産・久保小学校校舎解体の危惧/KuboPrimarySchool
尾道市立久保小学校の建物を見ていると吾輩は、そのカッコ良さに惚れ惚れする。写真の被写体としては申し分ない。
そして、この学校の木造二階建ての2階にある講堂には、知られざる尾道の日常遺産・スタインウェイ・ピアノ(1899年製/明治32年)があることを知る尾道市民は残念ながら数少ない。全国的にみれば希少価値のあるピアノであが、尾道市では日常遺産とさえ認識されない、これこそ「猫に小判」の典型的な事例である。
このまま放置するのはもったいない。確か1997年だったと思うのだが、吾輩の飼い主がたまたま久保小学校のPTA会長を存じ上げていた。それではと、吾輩の飼い主はPTA会長に「知り合いに著名なフォルテピアノの修復家がいるので、PTAでピアノの修復をしては如何か」と提案。その話がトントン拍子に進み、実現する運びとなったのだ。
(*今回掲載したピアノの画像は、当時のHP掲載用に加工したもので、見づらいと思われるが、ご容赦願いたい。)

価値あるピアノにふさわしいピアニスト


吾輩は、機会あれば、このピアノの重要性や維持管理方法など、具体的な提案をさまざまな関係者に訴えてきたが、所詮、猫の話に聴く耳を持つものは、尾道には居ないようだ。
スタインウェイがある講堂は、学校建築としては全国的に希少価値のある鉄筋コンクリート製校舎から木造の長〜い社殿のような回廊が続き、途中、時宗の古刹西郷寺の参道の石段の下をトンネルで潜り繋がっている。
2階にある講堂は体育館としても使われているようで、舞台の下に置かれた檻の中にスタインウェイが置かれている。このピアノは、年に数回の学校の式典に教師によって校歌が弾かれるようだ。
ピアノの修復後、残念ながらこのピアノは著名なピアニストによって演奏されることはなかったため、吾輩はPTAにお願いして、2003年9月に久保小学校創立130周年事業として、当時交遊していた鍵盤楽器奏者・武久源造に演奏を依頼した。以後、久保小学校の講堂(体育館)でピアノ演奏会をしたという話は聞かない。このピアノが空調管理をしている美術館のようなところに寄託されれば、いつまでも活躍の機会はあるだろうにと思うのだが…。
2019年の初夏、交流のあるピアニスト・イリーナ メジューエワとご主人の明比さんが尾道に遊びにお越しになった。この機会を捉えて、彼女に以前から話していた広島県立尾道東高等学校のベヒシュタイン・ピアノ(1906年製)と隣接する久保小学校のスタインウェイ・ピアノをご案内した。彼女は、このスタインウェイを弾きながら、ご主人と二人、「当時の素晴らしく豊かな音色がするね」とお気に入りだった。
同席の校長先生曰く『このピアノ、こんなに美しく音色がするなんて、知らなかった!』と大喜びだった。

200歳の長寿をめざすピアノ秘話とは...。


本年(2014年)で115歳を迎える尾道市立久保小学校のスタインウェイピアノについて、1998年修復当時に書かれた貴重な文章を入手したのでご披露することにした。執筆者はフォルテピアノ修復家として活躍する山本宣夫である。以下、修復を手掛けられた久保小学校の「スタインウェイピアノ」に対する山本の熱い想いが伝わってくる。

スタインウェイピアノ


イタリアのバルトロメオ クリストーフォリが今からちょうど300年前の1700年頃にピアノを発明して以来、ヨーロッパのピアノ製作はそれまでのオルガン、チェンバロといった鍵盤楽器の製作者がピアノ造りに移行するという形でなされることが多くありました。
スタインウェイ社の創立は1853年です。ピアノ製作栄光の創業者セオドア・スタインウェイという人物は天賦の才を持つ科学者であり、また卓越した技術者でもありました。
ピアノの意匠と音質の概念を世界的規模で根本から覆した技術革新を強固に推進し、頑丈な鉄骨に太い弦を強い張力で扇形に斜めに交差するようにはり巡らし、駒を響版の中央に据えつけ、厚いフェルトを機械で圧着した大きなハンマーを使用しました。
このようにして生み出されたこれまでにないピアノアクションの適応により演奏者は前例のない音量と音色を自由自在に表現出来るようになりました。
スタインウェイはなんとアメリカに来て20年間に41件もの特許を取得したのでした。1880年代のスタインウェイ製のピアノは本質的に現代ピアノそのものであり、競争相手の一世代先を歩んでいました。

音色と響きに最も大きな影響を及ぼすのは響板


私(山本宣夫)が初めて久保小学校のスタインウェイピアノを見た時、それは体育館の片隅の鉄の檻の中に入れられている傷ついたライオンのようでした。それは体の右半分が灼けただれ、瀕死の状態でした。
試しに弾いてみた時、ガタガタと悲鳴のように聞こえる音の中にキラリと光りを放つ音をいくつか感じました。そして、とても汚れてはいるけれども、その響板は、幸いにも傷ついていなかったのです。
「このピアノはまだ死んではいない。再生可能だ。そして完成には大変な時間が掛かると予想されるが、それだけの値打ちは充分にある。」と私は判断しました。
火災によるやけど傷ばかりでなく、様々な傷を負わされた本体の修理と外装の塗装が終了し、鍵盤とアクションの仕事に取りかかりました。
当初の見積もりでは、最初から付いていたオリジナルのハンマーをそのまま使用するつもりでいましたが、そのフェルトは実際には思いのほか消耗していたのでした。そのままでもなかなか良い音ではあるのですが、今回の修復後さらなる100年の命を与えようと取り組んでいましたので、そのままでは余命はそんなに長くないと判断できました。
結果、ニューヨークのスタインウェイの新品のハンマーを取り寄せ、それと交換しました。新しいハンマーに替えましたが、音色は大差なくとても良い音が得られ満足できました。
鍵盤の象牙は低音と高音の一部が少し残っているという状態でしたが、現在はワシントン条約により象牙の輸入が禁止されてしまっています。でも幸いにも、以前買い求めたものが一台分だけ残っていましたので、それに取り替えることにしたのです。
一年余りかかった修復が大詰めにかかり、最後の仕事である調律をしてみると、低音は豊か、中音域は色彩豊か、高音はのびやかでブリリアントな響きで、仕事をしていても、それはとても気持ちの良いものでした。
出来れば、一度ピアノソロのコンサートでみごとに蘇った100年前のスタインウェイの音を堪能できればと思っております。(1998年10月 山本宣夫)
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