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尾道町を歩けば猫に当たるわけではないが、路地には実に個性的な柄の猫が……

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尾道の猫1/CatsinOnomichi1


尾道の猫1/CatsinOnomichi1

狛犬の如く、厳かにお務めしているような猫


尾道の猫1/CatsinOnomichi1
尾道町の新開(しんがい)という歓楽街のド真ん中で、背骨のように東西に100メートルくらい伸びる仲之町(ちょう)という路地がある。ここには、かつて(半世紀前あたり)は猫も安全に歩けぬほど酔い客で溢れていたが、今は真昼間も暗がりの夜になっても人影を見ることは少なくなった。
この路地の真ん中あたりにある十字路付近には、三つの井戸がある。その一つで十字路の北西側にある井戸は、腕のいい尾道石工により「護国」「敬神」という文字をくっきりと彫り込んだ二つの石柱が空間を仕切り、その奥には井戸の水神を祀る石造の祠がある。尾道の石文化を象徴するような実にりっぱな井戸である。それだけに霊験あらたかなる祠の前では、狛犬の如く身動き一つせず、井戸の番犬ならぬ番猫となり、厳かにお務めをしているような猫たちがいた。よく見ると三匹のうち、二匹はどうやらトップ写真の双子の猫らしい。この二匹は目を見紛うほど寸分違わず、どっちがどっちか分からなかった。

参考までに、あとの二つの井戸は十字路の東南側で、一箇所にあることから「ふたつ井戸」と呼ばれている。

座った猫はいつも行儀が良いが、こんなオシャレな猫もいるもんだね。

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2018年11月3日の午後4時頃、新開の路地裏のそのまた裏を歩いていたら、この猫に出会した。この日は、尾道町のあちこちに親子連れが溢れる日だ。親子が楽しみにしているのは「ベッチャー祭り」という江戸時代から伝わる奇祭で、「ベタ」「ソバ」「ショーキ」と囃される面を被った氏子が、手に「ささら」や「祝棒」を握り、子供たちを追いかけ回して突いたり叩いたり。子供は泣き叫び、逃げていく。獅子はあんぐりと大きな口を開け、赤ん坊の頭を軽くパクリ。威勢のいい担ぎ手により神輿が空を舞ったり、何とも面白い尾道で一番人気のお祭りだ。吾輩の幼い頃は、怖くて自宅の二階から眺めていたような記憶がするのだが...。
そんな祭りの喧騒を避けて裏道を選んで歩いていたら、お行儀よく吾輩を出迎えてくれたのだ。ちょっぴりカジュアルなタキシード風の毛色に、胸元と眉毛あたりにはちょこっと薄茶色のアクセント、君はオシャレだねぇ。

猫は狭いところが好きだというが、暑い夏にこの猫は?


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その昔の昭和の時代、二世代続いた赤松産婦人科医院だった場所が、今は駐車場になっている。このあたりは、昭和6年6月に発行された尾道市街圖誌によると「西後地町(にしうしろぢまち)」と呼んでいたらしい。路地の両側は同じ所有者の月極めの駐車場となっているので路地の半分ほどは見渡しが良い。何台の車が駐車できるのか数えてみようかと思ったが、親切に番号が書いてあった。1番から始まって39番、思った以上に結構大きな駐車だ。こんな風だから、尾道町の路地は駐車場に呑み込まれ、路地はだんだん絶滅危惧種に近づいていく。
そんなことをぶつくさ考えながら、防地川が暗渠となり車道となった「川端通り」から、吾輩が勝手に名付けた「後地小路」へ入っていった。いつものクランクのような路地をテクテク歩いていくと、かんざし灯篭のある八坂の明神さん(厳島神社・八坂神社)の参道に交わるすぐ手前の溝に、写真のように猫がハマっていた。クランクだから下手な歩き方をすれば車同様脱輪するが、猫が脱足して溝にハマったなんて聞いたこともない。狭い溝に身体全体ポッコリとハマっているが、苦しんでいるようでもない。それではとポケットからiPhoneを取り出しパチリと撮した。何であんな格好をしているのか、疑問が残ったままだった。
今考えると、合点がいった。撮したのは昨年の2018年8月21日午後4時10分。夕刻に近い夏ではあるが、昨年も猛暑が続き暑かったのではなかったか。後地小路から築島小路へ向かっていくとどんどん道幅が狭くなり、猫がハマった路地の道幅は目測で130cmから140cmあまりだ。小路の両側は民家が建っていて陽が当たらない。それで、このあたりは浜風も吹くのではないか。となるとコンクリートも気温に比べるとそこそこ冷たい。ヘボ探偵気取りの吾輩の推論は果たして如何に?

この写真にコメントは要らないだろう?!だけどちょっとだけ


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撮影場所は、浄土寺下の桟橋から海岸通りを西に数十メートルの防波堤。海辺であれば猫がいるのが当たり前と言いたいが、尾道町の東端の漁港は尾崎漁港で、猫が海岸に出るには危険がいっぱい、国道2号線や比較的通行の多い海岸通りを決死の覚悟で渡らなければならないのだ。そんなわけで、シャーターチャンスは一度だけと猫のいる風景を撮ったのだろう。その猫が振り返り「無礼者!」と言ったかどうかは判らぬが、老猫の実に渋顔を見ただけで、カメラマン一瞬手が震えたのではと想像する。実はこの写真、吾輩が撮ったものではなく、吾が飼い主の身内が撮ったもので、瞬間シャッターを押しながら尾道を感じさせる素晴らしい構図を切り撮るとは、吾輩とは違って流石だね。

亀井八幡大門の狛犬と猫が張り合って、どちらが恰好いい?


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明神さん(厳島神社・八坂神社)への参道である築島小路から久保本通りを越え、亀井八幡神社(通称は久保八幡神社)に向かって石造の大鳥居を潜り石畳を歩いていたら、八幡大門の手前にある狛犬に目が留まった。狛犬をジッと眺めていたら、その先にある家の横から猫が出てきた。その猫がどっちが恰好いいかと狛犬と張り合って同じポーズをとったので思わずパチリ!

アレ!道路の真ん中に猫が

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公会堂別館(今は尾道市民会館というが、吾輩はこの名が馴染めない)の裏通りをチラッとみたら、道路の真ん中に猫がいて、何やら凝視めている。何を見ているのか、興味を持った吾輩が抜き足差し足忍び足で近づいで、後ろ姿をパチリ!吾輩の気配を感じた猫は、思わず振り向く。その顔を観た吾輩も思わずびっくり!尾道の猫1/CatsinOnomichi1


昔は人で溢れていた新開、今は猫のパラダイス!


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薬師堂通りとちょっとレトロな米場町通りの三叉路から東に向かってずーと奥の突き当たりを観たら「一口」という看板が54年間見えていた。この看板の串カツの店「一口」は、昨年の12月に久保本通りのポプラ久保店を海側に下りた場所に移転した。写真は、「一口」の旧店舗に詰めかけるお客が空席待ちに椅子に腰掛けていたコンクリート広場で戯れる二匹の猫。その昔、夜の帳が落ちる頃には、人で溢れていた新開も、今は人影をみることも少なくなった。尾道町は、中心市街地の空洞化が今もどんどん広がっている。

いよいよ「猫のまち尾道」をキャッチコピーにするのではないかと心配顔の尾道市民。そんな尾道の新開で暮らす猫たちは、「安心安全のパラダイス」だと喜んでいるようだ。

田能村竹田翁に寄り添う、優しい猫?

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1988(昭和63)年から1989(平成元)年にかけて、国が行った「ふるさと創生事業」ですべての自治体に1億円の税金がばら撒かれた。これは一面、自治体の知恵比べ、あるいは行政能力そのものが明らかになる興味深い出来事だと吾輩たちは注目した。
尾道市は、結局、市民に知恵を借りることもなく、行政内部で1億円を野外彫刻と公衆トイレ整備に使ったと記憶している。その結果、文化勲章受賞者を選定基準として制作依頼されたらしい。野外彫刻として制作された作家たちの銅像は、殆どのものが明日は我が身とあちこちにコロコロ移転され、設置の場所が定まっていない。これが芸術文化都市、日本遺産の都市を掲げる尾道市の嘆かわし現実だ。
田能村竹田翁の銅像は、当初は、江戸時代に灰屋橋本家があったという旧長江口公園の北東角に置かれていたと記憶している。それがどういう訳か、現在(2016年12月18日)は千光寺の下にあった旧尾道市立動物園の中に台座もなく置かれている。それを憐れんでいるかのように、可愛い猫がひなたぼっこしながら竹田翁の足元に寄り添っていたので、若い観光客たちに混じり吾輩もパチリ!

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